持統天皇八(六九四)年十二月、飛鳥の地から藤原京に都が遷されました。 この長歌は新しい宮を讃美したものです。題詞に「藤原宮の御井の歌」とあり、歌の最後に「御井の清水」とあるように、宮の水、ひいては宮そのものが永遠であることを予期し祝福しています。 この歌の魅力は、宮の周囲を見渡し、四方の山々を讃えながら詠み込むところにあります。近くに見えるいわゆる大和三山―東の香具山・西の畝傍(うねび)山・北の耳成山、そしてはるか遠い南の吉野の山という四方の山に守られた地であることを、六句ずつ対にして歌い上げます。このような壮大な長歌を詠むことができたのはどのような人物だったのか、柿本人麻呂か、あるいは神官か、などさまざまに想像されています。 歌の冒頭「やすみししわご大王高照らす日の御子」は、遷都を行った持統天皇を指すとみるのが一般的ですが、天武天皇の事業を受け継いで遷都に至ったと考えられています。『日本書紀』天武天皇十三(六八四)年三月条には「宮室之地(おほみやのところ)」を定めたと記されています。「藤井が原」、藤原の地は天武天皇によって選ばれた場所だったと考えられます。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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