端嶺(たんれい)和尚の雨乞い
文・山崎しげ子
奈良県の南部、吉野川南岸の吉野郡下市町。町の80%近くを森林が占める。奈良市から車で走ること一時間半。杉、檜の緑濃い森に、白く淡い木洩れ陽が射し、樹々を渡る風も実に爽やかだ。
だが、森が多い反面、山裾の狭い田畑で懸命に働く農民たちも多くいた。今回は、そんな農民たちを苦難から救った高僧のお話。
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昔、昔、江戸時代中頃のこと。西来寺(せいらいじ)の住職で、端嶺和尚という徳の高いお坊さんがおられた。
ある年、ひどい日照りが続いて農民たちは困り果て、和尚に雨乞いを頼むことにした。
和尚は、早速、傘と墨を持ち、一同を従えて山桜の美しい桜坂を越え仏ヶ峰の地蔵堂に向かった。
その地蔵堂で、和尚は大きな声で一心にお経をあげた。というのも、昔から古い神仏を祀るところには必ず蛇が住んでいて、お経をあげて雨乞いをすると、その蛇が龍となって昇天し、雨を降らせるとされていたのだ。
和尚はさらに熱心に天まで届きそうな大声でお経をあげた。そして、和尚は自分の白い衣に墨をベタベタと塗り始めた。すると不思議なことに、和尚の体に一匹の白蛇がぐるぐると巻き付き、白蛇は墨に染まって黒蛇となり、やがて黒蛇は龍となって空高く昇っていった。和尚は、「さあ、これでよし」と言い、呆気にとられてこの様子を見ていた農民たちを急き立て、峠を下り始めた。
一同が峠を下り切らぬうちに、何と何と、恵みの雨が傘も破れんばかりに降ってきた。田畑は潤い、村人の中にはうれしさのあまり踊りだす者もいたとか。
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さて、下市といえば、日本最初の商業手形「下市札」で有名。始まりは室町時代とか。下市はさらに奥地、また広く吉野地方との交易も頻繁で、物産の集散地として市が立ち、さらに市場町として発展。そんな中で「下市札」が使われた。
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大坂城の築城では大量の木材が大坂まで運ばれ、城下の建設にも使われた。「山家なれども下市は都、大坂商人の津でござる」との歌も。当時の賑わいがしのばれる。(「下市札」は下市観光文化センターで展示)
下市に体験型複合商業施設
7月5日オープン
吉野地方の商業の中心で、下市札の発祥の地として知られる下市町にて、空き校舎となった旧下市南小学校が体験型複合商業施設「KITO(キト)」に生まれ変わります。プロデュースするのはアパレル事業などを手掛ける株式会社パルグループ。
「ひと」と「体験」をつなぐ場所として、薪窯でピザを焼くレストランカフェやショップ、ベーカリー、キッズスペース、マルシェなどを展開。吉野地方や下市町の農作物や特産品を使い、さまざまなプロダクトが開発されています。
場所・アクセス
所
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下市町善城664-1 |
アクセス
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近鉄 下市口駅から
奈良交通バスで約10分
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