この歌は「帥(そち)大伴卿の歌五首」と題された中の四首目です。帥大伴卿とは、大宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官)である大伴旅人を指します。旅人は天智四(六六五)年の生まれで、四十六歳の時に平城京遷都が行われるまで飛鳥・藤原の地で過ごしていました。遷都から十七年ほどたったころ、大宰帥に任ぜられます。 この歌は、宴の場で部下が詠んだ歌に対する返歌の一首です。「奈良の都を思ほすや君(奈良の都を思われますか、あなた)」(巻三・三三〇番歌)との問いかけに対し、奈良の都だけでなく、吉野の川と「故郷」への思いが連作で詠まれます。『万葉集』中、「故郷」は飛鳥を指すことが多く、中でも旅人にとって望郷の原点となるのが香具山だったのでしょう。 香具山は大和三山(香具山・畝傍(うねび)山・耳成(みみなし)山)の一つで、「天の香具山」とも呼ばれます。舒明天皇の国見歌に「大和には群山(むらやま)あれどとりよろふ天の香具山」(巻一・二番歌)とあるように、飛鳥に宮がある時代から特別な山として詠まれていました。「天降(あも)りつく天の香具山」(巻三・二五七番歌)とも歌われ、伊予国風土記逸文にも天から降りて来た山だと伝わっています。ただ、今回の歌では「天の」がついておらず、神話的背景というよりも実際の地名としての香具山が詠まれます。藤原宮の御井の歌(巻一・五二番歌)でも「大和の青香具山」と詠まれ、香具山が大和の代表として認識されていたという指摘もあります。 「忘れ草」とは萱草(かんぞう)のことと考えられ、中国の書物に、萱草は憂いを忘れさせる、とあります(『文選(もんぜん)』五三・養生論)。『万葉集』に全五例あり、この歌以外は恋の歌に用いられます。恋心と同様、いっそ忘れたいのに忘れられない強い懐かしさが表現されています。 天平二(七三〇)年十二月に帰京した旅人は、翌年一月従二位となり、七月に六十七歳で亡くなりました。香具山を見ることはできたのでしょうか。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
スマホアプリ「マチイロ」でも電子書籍版がご覧になれます。 詳しくはこちら
電子書籍ポータルサイト「奈良ebooks」でもご覧になれます。 詳しくはこちら