この歌は巻七「山に寄す」五首の中に収められた譬喩歌(ひゆか)です。譬喩歌とは、恋の思いを何らかの物に譬(たと)えて表現するもので、この歌では畝傍(うねび)(畝火)山が恋人を暗示しているようです。数々の山がある中で、この歌の作者はなぜ畝傍山を選んだのでしょうか。 畝傍山は現在も大和三山(香具(かぐ)山・畝傍山・耳成(みみなし)山)の一つとして知られており、『万葉集』にも三山を詠み込んだ歌が複数あります。この歌以外の「畝傍」はすべて長歌に用いられ、単なる地名というより背景を伴って詠まれています。例えば、柿本人麻呂の歌に「玉だすき畝傍の山の橿原のひじりの御代」(巻一・二九番歌)、大伴家持の歌に「橿原の畝傍の宮」(巻二十・四四六五番歌)と詠まれるように、初代・神武天皇の宮があった場所としても認識されていたことがわかります。 また、『万葉集』の「畝傍」七例のうち四例までが枕詞「玉だすき」を伴っています。「たすき」は神聖な布で、首・肩にかけて神事に用いられました。美しいたすきを首(うなじ)にかける、その畝傍(うねび)、とかかります。「うな」「うね」の発音の類似による枕詞ですが、「玉だすき畝傍」と連続することで山の美しさや神聖さが想起されます。 さて、「いたもすべ無み」という例のほとんどが泣く・祈るなど、何もできない嘆きと共に詠まれます。ところがこの歌では「思いあまり」「標結ふ」と歌うことから、思い切った行動をとったことがうかがえます。「標結ふ」は恋の歌に多く用いられ、標(しるし)を付けて目立たせること、恋の歌では自分のものだと目印をつけることを意味します。 この歌の作者は伝わらず、歌の主体は男女どちらかわかりませんが、神聖な畝傍山に勝手に標を結うと歌うことは、禁忌を侵して人妻を手に入れたことを意味するという説もあります。譬喩歌は想像が膨らみますね。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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