本歌は、題詞によれば、三輪高市麻呂が長門守(ながとのかみ)に任じられた際に、三輪山付近の川辺(泊瀬川)に集まって宴会を開いた時に詠まれたものです。題詞とは、歌の前に置かれ、歌の主題や歌が詠まれた事情や年月、歌を詠んだ人の情報などを漢文で記したものです。「長門守」とは、長門国(現在の山口県の北部および西部)の行政を掌(つかさど)る役職の名です。『続日本紀(しょくにほんぎ)』によれば、高市麻呂は大宝二(七〇二)年正月に長門守に任じられています。本歌は、その折の送別会での歌と見られ、これから長門国へ赴任する高市麻呂が宴会の参加者に向かってうたいかけたものでしょう。 歌は、三輪山を擬人化して「泊瀬川」をその着物の帯に譬(たと)えています。「帯ばせる」は、「身につける」意の「帯ぶ」の敬語「帯ばす」に存続の助動詞「り」の連体形「る」をつけた形で「帯となさる」と訳せます。そうして帯びている泊瀬川の流れが絶えてしまわない限り、私はあなた方を忘れません、とうたっているのです。なお、『万葉集』において、本歌のように山を擬人化し川を帯とみなす例は、他に「大君(おほきみ)の三笠の山の帯にせる細谷川(ほそたにがは)の音(おと)の清(さや)けさ」(巻七・一一〇二番歌)などがあります。 高市麻呂の歌のように川の流れが絶えないことを条件に、自分の行動や気持ちが不変であることを誓う詠み方は、古くは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の「吉野讃歌」(巻一・三七番歌)に見られます。しかし、本歌の表現により近いのは「神山(かむやま)の山下響(とよ)み行く川の水脈(みを)し絶えずは後(のち)もわが妻」(巻十二・三〇一四番歌)でしょう。「神山のふもとを響き流れる川の水脈が絶えなければ、いつまでも私の妻であることよ」と、妻への不変の愛情を誓った歌です。 泊瀬川が現在も豊かな水脈をたたえるように、川の流れは容易に絶えることはありません。高市麻呂は、絶えることのない豊かな川の流れと同じように私もあなた方をずっと忘れません、とうたうことで、別れる友人たちを大切に思う気持ちを表したのです。 (本文 万葉文化館 榎戸 渉吾)
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