-ご実家は農家ではなかったということですが。
私は奈良に生まれ、サラリーマン家庭に育ち、高校を卒業後は地元にオープンしたばかりの百貨店に就職しました。
建物も新しく綺麗で、商品を見立ててお客様に喜んでもらうことは、最初は楽しく、やりがいもありました。しかし、勤めて何年か経った頃、屋外の天気もわからず、毎日同じことを繰り返す生活に「わたしの生き方はこのままでいいのだろうか」という思いが日増しに強くなっていきました。
仕事を辞めたいと親に話しても、恵まれた環境、待遇で仕事をして一体何が不満なのか、と理解してもらえませんでした。
-まったく縁のなかった農業の世界に飛び込んだきっかけは何だったのですか。
ある日の休憩時間、本屋で偶然手に取った本に鹿児島県の沖永良部島(おきのえらぶじま)での農業体験の募集記事がありました。知らない土地に行き、知らない人と出会って違う自分を見つけたいと、有給休暇を使い参加しました。
農業体験では自然の中で人間が生かされているという実感を持つことができ、また60才を過ぎた農業者が「島一番のテッポウユリを作りたい」と目標を持っていきいきと働く姿に感銘を受けました。
そして、それ以来、有給休暇を使い農業体験を重ねることになりました。
-本格的に農業の道へ進まれることになりましたね。
私が就職して12年ほど経ったとき、百貨店が倒産しました。退職してからの1年間、私は日本各地へ農業体験の旅にでました。その後は自然食のレストランで働きながら奈良市の歌姫町で「天然自然農法」を実践されている方に教わり、畑を借りて農業を始めました。そして、お茶の産地である奈良市の田原地区で茶畑を借り、あらたにお茶の栽培も始めました。レストランでアルバイトをしながら、農作業する生活をしばらく続けていましたが、もうくたくたで、アルバイトの方はやめて、農業に専念することにしました。
-そして独立されました。
2009年、田原の名前を冠した「田原ナチュラル・ファーム」を立ち上げました。現在は、イベントやレストランに野菜やお茶を出荷、宅配もしています。
お茶のブランド名「ゆい」は昔、日本の農村にあった助け合いの制度「結」にちなんだものです。私がこれまでいろいろな方に助けていただいたことを忘れないようにとこの名前にしました。
福井さんから女性へのチャレンジメッセージ
人と話すことが好き、体を動かすことが好き、そして農業が大好き。そんな思いを胸に、雨の日も晴れの日も コツコツと今まで続けてきました。
思いがけない失敗や結果に陥ることもありましたが、そんな時こそ、今、何をすべきかもう一度冷静に考えたり、そして自分の農園に携わって下さっている方々に対して、誠意をもって接することで、自然と道が広がってきました。
それぞれの活動が、誰かの役に立てるよう、共に頑張りましょうね。
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