万葉のうた

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第1回 寺川(倉橋川)

第1回

 

 屋上庭園の「国見の歩廊」にはガラススクリーンを設置し、屋上から見える山や地域等に関連した万葉の詩歌14首を紹介、解説しています。14の山や地域等は、以下のとおりとなっています。
 
NO.1 寺川(倉橋川)  NO.2 三輪山  NO.3 海石榴市(つばいち)   
NO.4 石上(いそのかみ)  NO.5 竹田庄 NO.6 磐余(いわれ) NO.7 飛鳥 
NO.8 香久山 NO.9 耳成山  NO.10 藤原京 NO.11 坂手
NO.12 畝傍山  NO.13 葛城山   NO.14 二上山  
                                 

これから、屋上庭園で紹介している万葉歌を毎回ひとつずつ掲載していきますので、よろしくお願いいたします。


第1回は、NO.1 寺川(倉橋川)です。

梯立(はしたて)の 倉椅(くらはし)川の 石の橋はも 壮年時(をざかり)に わが渡りてし 石の橋はも    (万葉集第7巻 1283番 作者未詳)

〈現代語訳〉
 梯立(はしたて)の倉椅(くらはし)川の石の橋よ。男盛りに私の渡って通った石の橋よ。

〈解説〉
寺川の上流は倉橋川と呼ばれていました。そこには、対岸へ渡るための飛び石が置かれていたようです。老齢の男性が、若い頃にはこの橋を渡って恋人のもとへ通ったものだ、と歌いかけた内容です。歌垣(うたがき)での一首とみられ、人生の先輩たちが、結婚適齢期を迎えた男性たちに、結婚の心得を歌で示したのかもしれません。古代の日本では、男性が女性のもとへ夜ごと通っていく通い婚の風習があり、一夫多妻制であったともいわれています。



 寺川は、橿原総合庁舎の北側を庁舎敷地に近接して流れている川です。大和川の支流で、桜井市多武峯の山中に発し、音羽山・多武峯の間の谷を北流、桜井市倉橋を過ぎ、北西に向かい、川西町内で大和川に合流しています。
「梯立の」は「倉」を導く枕詞であり、特に意味はありません。「わが渡りてし」については、インターネットでこの歌を検索すると、「吾(あ)が渡してし」となっているものがあり、現代語訳は「若い日にあの子のために、わたしが渡した跳び石の橋は、今どうなっているのだろうか」とロマンチックな感じになっているのが印象的でした。
〈解説〉にある「歌垣(うたがき)」については、ウィキペディアで調べると、「古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事」と説明されていました。