万葉のうた

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第5回 竹田庄(たけだのたどころ)

屋上庭園万葉スクリーンに掲示している万葉歌の紹介、第5回は、NO.5竹田庄 (たけだのたどころ)です。

 玉桙(たまほこ)の 道は遠けど はしきやし 妹(いも)をあい見に 出(い)でてそあが来(こ)し
(万葉集第8巻 1619番 大伴家持(おおとものやかもち))


〈現代語訳〉

玉桙(たまほこ)の道は遠いのだが、なつかしいあなたに逢いに、私は出かけて来ました。


〈解説〉

 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が現在の橿原市東竹田にあったという大伴氏の田地にいたときに、大伴家持が訪ねてきて詠んだ歌です。愛すべき妹(いも)、とまるで恋人や妻に歌いかけるような表現ですが、坂上郎女は家持の父親である大伴旅人の妹で、家持にとっては叔母に当たる人物でした。家持に恋の歌の手ほどきをしたとみられ、この歌に対しても、あなたがなかなか来てくれないので夢にまで見て恋しく思っていました、という恋人同士のような坂上郎女の返歌が残されています。


 今回は、竹田庄(たけだのたどころ)の関連の歌です。竹田庄は大伴氏が経営していた田荘で、現在の橿原市東竹田町にあったとされています。屋上庭園がある奈良県橿原総合庁舎の所在地は橿原市常盤町ですが、総合庁舎の北隣は橿原市東竹田町であり、今回の歌は大伴家持が屋上庭園近隣の田地で詠んだ歌ということになります。
 大伴家持は大伴旅人の長男で、生まれ年は養老2年(718年)といわれています。大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、家持は祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残しています。家持の歌は長歌・短歌など合計473首が「万葉集」に収められており、「万葉集」全体の1割を超えていることから、家持が「万葉集」の編纂(へんさん)に関わったと考えられています。
 この歌は、天平11年(739年)に坂上郎女に対して贈られた歌です。解説にもありますように、叔母を「妹」と呼んだりして恋歌仕立てになっていますが、親密な間柄の相手と歌をやり取りする際は恋歌めかすのが当時の風雅であったようです。
 この歌に対して坂上郎女は、「あらたまの 月立つまでに 来ませねば 夢にし見つつ 思ひそあがせし(月が立つまでにいらっしゃらないので、私は夢にまで見続けて、物思いをしてしまいました)〈万葉集第8巻1620番〉」と歌を返しています。
 「玉桙の」は、「道」にかかる枕詞です。「はしきやし」は、「ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。」という意味で、愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用いる言葉です。