上宮遺跡(成福寺)(伝葦墻宮) かみやいせき(じょうふくじ) (でんあしがきのみや)
記入年月日 2017/03/22
- 所在地
- 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南3丁目
- 区分
- 遺跡 | その他
- 指定内容
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 法隆寺の南東約1.5㎞に位置する遺跡で、平成3年度(1991年度)の歴史公園整備事業に伴う発掘調査で見つかりました。調査の結果、整然と配置された大型の掘立柱建物群や、平城宮や平城京で用いられた瓦と同じ文様の瓦などが見つかったことから、これらの建物群は『続日本紀』に記された、称徳天皇が行幸の際に宿泊した「飽波宮」(あくなみのみや)と考えられています。一方、聖徳太子や山背大兄王の時代の建物などは明らかではありませんが、当時の土器などが見つかっていることや、近くに聖徳太子が亡くなった「飽波葦墻宮」(あくなみあしがきのみや)の跡地に建立されたと伝わる成福寺があることから、「飽波葦墻宮」がこの付近に存在した可能性があります。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 聖徳太子が住まいとされた宮との伝承を持つ遺跡であるためです。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 『万葉集』巻12(斑鳩の 因可の池の 宜しくも 君を言はねば 思ひそわがする)
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 聖徳太子
称徳天皇
- 当資源と関連する文献史料
- 『大安寺伽藍縁起幷流記資材帳』
『続日本紀』
『日本霊異記』
『太子伝暦補註』
『古今目録抄』
- 当資源と関連する伝承
- 『日本書紀』では、聖徳太子は斑鳩宮で薨去したとされていますが、『大安寺伽藍縁起幷流記資材帳』には「飽波葦墻宮」、『太子伝暦補注』や『古今目録抄』などには「葦墻宮」で薨去したと記されています。その飽波葦墻宮(葦墻宮)がこの場所ではないかと考えられています。
- 問い合わせ先
- 斑鳩町文化財活用センター
- 電話番号
- 0745-70-1200
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