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橘寺境内 たちばなでらけいだい

記入年月日 2017/03/22

橘寺(明日香村)
所在地
奈良県高市郡明日香村大字橘
区分
遺跡 | 社寺跡又は旧境内
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
橘寺は仏頭山上宮皇院菩提寺といい、別名橘樹寺・橘尼寺とも呼ばれています。創建の由来については、天平19年(747年)の『法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳』に聖徳太子が発願した七ヶ寺の一つとされています。昭和28年(1953年)からの発掘調査で講堂・金堂・東・中門が東西に並ぶ四天王寺式伽藍配置を有した飛鳥時代の寺院跡が確認され、多くの塼仏が出土するなど、その文化的価値から昭和41年(1966年)に国史跡に指定されています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
憲法十七条の制定や冠位十二階の制定など日本人の精神性や、日本の中央集権国家体制の確立に大きな影響を与えたと言える数々の偉業に関わった歴史上の人物、聖徳太子(厩戸皇子)生誕の地である点。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』には天武9年(680年)に「橘寺の尼房に失火して、十房を焚く」の記事がみられ、この頃には尼坊が完成しているほど伽藍が整備されていたことがわかります。さらに、橘寺の地は廐戸皇子(聖徳太子)の生誕の地とされ、その他、田道間守が大陸から持ち帰った種をこの地にまいたところ、それが橘(みかんの原種)であったことから、以来この地を「橘」と呼ぶようになったとされています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
厩戸皇子(聖徳太子)(用明天皇と穴穂部間人皇女の間に生まれた皇子)
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』『法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳』『聖徳太子伝』『上宮太子拾遺記』『護国寺本諸寺縁起集』など
当資源と関連する伝承
橘寺はもとは欽明天皇の別宮の地で、穴穂部間人皇女が宮中を散策していた折、厩戸で産気づき皇子が誕生したことから厩戸皇子(聖徳太子)と名付けたとあり、橘寺は聖徳太子の生誕の地とされています。その他、厩戸皇子(聖徳太子)の愛馬・黒駒が空を駆けぬけたという伝説もあります。
他地域の関連する歴史文化資源
宮内庁が治定する聖徳太子墓(大阪府太子町・叡福寺)、法隆寺・中宮寺(奈良県斑鳩町)、四天王寺(大阪府大阪市)など
問い合わせ先
明日香村 教育委員会 文化財課
電話番号
0744-54-5600

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