松山西口関門 まつやまにしぐちかんもん
記入年月日 2016/06/30
- 所在地
- 奈良県宇陀市大宇陀下本・下茶
- 区分
- 複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
- 指定内容
- 国指定史跡
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 松山西口関門は、宇陀松山城の城下町の要をなす出入口であり、ここから春日門へと至る街路は、城下町の大手筋にあたります。門口の橋詰めで道路を直角に曲げ、西口開門を通ってからも道路が直角に右折れします。門が黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれています。
門の造営は、門周辺部の発掘調査の結果から16世紀末~17世紀初頭と推定されています。関ヶ原の戦い後、福島高晴が当地に封じられ、宇陀松山城の改修と城下町の整備も進んだと考えられており、門はこの頃の造営と思われます。
門の構造等は、角柱を2本を立て、その止に冠木、腕木、桁をおいて本瓦葺の切妻屋根をのせます。また、後方に控柱を立て、同様に切妻屋根をのせます。扉は石の軸受けによって両開きとし、鉄金具を打った格子戸につくります。正面の柱間は4.1m、軒高3.7mを測ります。
当門は、当時のまま原位置にある城下町の門としては希少であり、往時の数少ない建造物でもあることから、道路敷地を含む224㎡が昭和6年に国の史跡に指定されています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 城下町の大手道にある最初の門であるとともに、かつての城下町に残る唯一の建造物であり、宇陀松山地区のシンボル的なものとなっています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 【福島高晴(福島正則の弟)】
安土・桃山時代~江戸時代初期の大名。
豊臣秀吉・秀頼、徳川家康・秀忠らに仕えました。関ヶ原の戦い後、その功績により宇陀松山に加増移封されましたが、大坂夏の陣の際、豊臣方に内通していたとの嫌疑をかけられ、改易。
- 問い合わせ先
- 宇陀市 教育委員会事務局 文化財課
- 電話番号
- 0745-82-3976
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