平野塚穴山古墳 ひらのつかあなやまこふん
記入年月日 2020/03/27
- 所在地
- 香芝市平野1052番地ほか
- 区分
- 遺跡 | 古墳
- 指定内容
- 国指定史跡
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- 歴史文化資源の概要
- 平野塚穴山古墳を含む平野古墳群は、丘陵の南東斜面を中心に東西約300mの範囲にわたり、消滅した古墳もあわせて約6基の古墳が分布しており、県内でも屈指の終末期古墳群として注目されています。平野塚穴山古墳は平野古墳群の西端に位置します。昭和47年の奈良県教育委員会による発掘調査により、一辺18m、高さ4m前後の方墳と推定され、被葬者は皇族の可能性が指摘されています。主体部は、玄室に短い羨道が付く横口式石槨で、全長4.47m、玄室長3.5m、玄室幅1.5m、玄室高1.76mを測ります。石槨全体は二上山で産出する凝灰岩の切石を組み合わせて構築しており、報告書によれば、切石の規格から唐尺で作られた可能性が高く、7世紀後半から末頃の築造と考えられています。なお、石槨内から耳環1点や中空玉1点をはじめ、銅鋺と推定される破片を含む銅製品の破片11点が出土し、他に植物性の麻で作った編物を芯にして漆で塗り固めた漆塗籠と、布を芯にして漆で塗り固めた夾紵の2種類の漆塗製品の破片が出土しています。平野塚穴山古墳は、天武・持統天皇陵や高松塚古墳など、7世紀後半から飛鳥地域で盛行する二上山産凝灰岩で構築した横口式石槨の先駆形態として位置付けられ、終末期古墳を研究する上で重要な古墳であることから、昭和48年6月18日に国史跡に指定されました。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 平野古墳群と同じ丘陵の北斜面には、奈良盆地で初めて須恵器を焼成した平野1~3号窯が、さらに北東の丘陵北斜面でも須恵器と瓦を焼成した平野4・5号窯が確認されています(平野窯跡群)。またその北には、平成28年3月に史跡整備事業が完了した国史跡尼寺廃寺跡や片岡王寺(王寺町)が所在し、東には近年久渡古墳群(上牧町)が発見されるなど、飛鳥時代の重要な遺跡が近接して存在する古代史上重要な地域であることが明らかになってきました。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 「該当なし」
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 「該当なし」
- 当資源と関連する文献史料
- 「該当なし」
- 当資源と関連する伝承
- 「該当なし」
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 「該当なし」
- 問い合わせ先
- 香芝市教育委員会 教育部生涯学習課 文化財係
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