郡山御城之図 (所在:奈良県立図書情報館) こおりやまおしろのず
記入年月日 2017/09/14
- 所在地
- 奈良県大和郡山市城内町
- 区分
- 歴史資料 | 文書・書籍・絵図・地図など
- 指定内容
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 25x35cm。本図は郡山城を俯瞰した「郡山御城之図」(柳沢文庫蔵)の複製です。『柳沢文庫収蔵品仮目録』では、幕末頃のものとされています。天に西、地に東が配置され、東から本丸、二の丸を俯瞰する木版画です。東には家老屋敷と会所(大庄屋・庄屋・町年寄の詰所)が並び、五軒屋敷の屋根と屋敷内の木々が見え、西は矢田丘陵を遠望します。五軒屋敷前の道を広く描き、南北に「柳御門」(南)と「桜御門」(北)を配します。本丸・二の丸への出入り口に当たる「鉄御門」をはじめ、「をもて門」「大ひろま」「松の間」「大書院」「小書院」「台所」「うら門」など藩主が居住する二の丸の御殿を中心に建物の名称を記します。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 郡山城は、天正8年(1580年)に筒井順慶が織田信長から与えられ、豊臣秀長の入部後に本格的に築城されます。文禄4年(1595年)以降、増田長盛は外堀と土居を構築しました。関ケ原の戦後は廃城となりましたが、豊臣氏が滅亡すると枢要の地として譜代大名が入部しました。享保9年(1724年)からは柳沢氏が144年間城主をつとめました。本図の二の丸御殿の裏門近くから本丸南石垣の間に架かっている「竹林はし」は、はじめ「台所橋」と言われていましたが、享保9年の柳沢氏入部以後に名前を改めたといいます。江戸時代の郡山城の様相を知ることができる資料です。
- 問い合わせ先
- 奈良県立図書情報館 図書・公文書課 公文書・地域研究係
- 電話番号
- 0742-34-2111
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