藤ノ木古墳出土金銅製鞍金具 ふじのきこふんしゅつどこんどうせいくらかなぐ
記入年月日 2018/01/01
- 所在地
- 奈良県橿原市畝傍町50-2
- 区分
- 考古資料 | 金属製品類
- 指定内容
- 国宝
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- 歴史文化資源の概要
- 昭和60年(1985年)、斑鳩町法隆寺西2丁目に所在する藤ノ木古墳の埋葬施設である横穴式石室が調査され、おびただしい数の副葬品が出土しました。石棺と石室奥壁の間から出土したひとそろえの金銅製馬具は、どれもが目をみはるようなすばらしい優品でしたが、とりわけ鞍金具は、当時の東アジアにおいても類をみない技巧と装飾を凝らした超一級品です。 鞍は、馬の背にのせて、騎乗するための居木(いぎ)と、その両側に取り付く前輪(まえわ)・後輪(しずわ)で構成されています。居木は朽ちていましたが、前輪と後輪に取り付けられた金具が残っていました。 鞍金具の縁まわりの金具を覆輪(ふくりん)、大きな中央の金具を海(うみ)金具、その下側に取りつく金具を磯(いそ)金具と呼んでいます。 前輪の覆輪には、鳳凰(ほうおう)・龍・パルメット文が浮き彫りされています。海金具には亀甲繋(きっこうつなぎ)文と呼ばれる五~六角形の文様で縁取りされた枠の中に、透彫りされた龍、鳳凰、獅子(しし)などが左右対称に配されており、その周囲を小動物やパルメット文が飾っています。磯金具には向かい合う一対の龍が彫られています。 後輪も前輪と基本的な構造や施文方法は前輪と同じですが、文様の数や意匠に違いが認められます。海金具の亀甲繋文内には鬼面(きめん)、象、兎(うさぎ)などが透彫りされています。また左右の海金具の間には把手(とって)のとりついた金具がはめ込まれています。金具には大刀と斧を持った鬼神(きしん)が透(すかし)彫りと浮(うき)彫りであらわされています。そのうえに支柱を取りつけて、把手を横渡ししています。さらに、把手の両端にはガラス玉がはめ込まれ、技巧をこらした金細工で装飾が加えられています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 考古学的に重要な資料であることはもちろん、美しく輝く様々な造形・文様と、繊細で技巧を凝らした彫刻が施されており、奈良県が世界に誇る美術工芸品のひとつであるといえます。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 古墳は、6世紀後半に築造されたもので、古墳の主人公は、鞍金具に描かれた西域や東アジアの世界と深いつながりをもった人物が想定されます。『記紀』のなかに登場するような人物と関わると考えられます。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 藤ノ木古墳の主人公として崇峻(すしゅん)天皇、穴穂部(あなほべ)皇子・宅部(やかべ)皇子、聖徳太子の妃の一人をだした膳(かしわで)氏、この地域と関わる豪族である紀(き)氏、平群氏などの名前がその候補として挙がっていますが、わかっていません。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 鞍金具において、これほどの多種多様な造形と文様を掘り込んだ装飾的なものはなく、唯一例といえます。中国北方の騎馬民族の鮮卑(せんぴ)が樹立した前燕(えん)・後燕、その影響を濃厚にうけた北燕の三燕において、金銅透彫り鞍金具の例があります。また、朝鮮半島にも金銅製透彫り鞍金具の例があり、慶州(キョンジュ)に都をおいた新羅(しらぎ)の天馬塚古墳などで出土しています。日本列島では、龍文を透彫りした鞍金具が誉田丸山古墳出土のものが伝わっており、国宝に指定されています。また、拓本だけが残るものとして京都府相楽郡加茂村小谷(現木津川市)出土品があります。中国北方地域や新羅との深いつながりが考えられます。
- 問い合わせ先
- 橿原考古学研究所附属博物館
- 電話番号
- 0744-24-1185
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