出会う 奈良県歴史文化資源データベース

飛鳥水落遺跡 あすかみずおちいせき

記入年月日 2021/04/16

飛鳥水落遺跡全景
漏刻の復原模型
所在地
高市郡明日香村大字飛鳥
区分
遺跡 | その他
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 飛鳥水落遺跡は、飛鳥川の東岸、石神遺跡の南に位置します。昭和47年(1972)の民家の新築に伴う調査(第1次調査)で、貼石遺構を持つ大規模な建物基壇が検出されました。その特異な構造から昭和51年(1976)に国史跡に指定され、その後史跡整備に伴う発掘調査(昭和56(1981)~60(1985)年、第2~6次調査)により、『日本書紀』斉明天皇6年(660)の記事にみえる中大兄皇子が日本で最初に造った漏刻台の遺跡であることが判明しました。石貼された方台形の基壇の地中には礎石が据えられ、礎石間も玉石を縦横に連接して堅固な造りをしており、この上に方4間の総柱の楼閣が建っていたと推定されています。基壇中央には台石上に据えた漆塗の箱(水槽)を設置し、これに向かって給水、排水のための木樋や銅管が基壇中に配されています。建物中央の漆塗の水槽は水時計の受水槽と考えられています。また、この建物の周囲、四方を隅部が角楼となった長廊状建物が囲んでおり、基壇上の楼状建物の2階部分には、時を知らせる鐘鼓を備えていたと想定されています。
 飛鳥水落遺跡は、石神遺跡とともに7世紀を通して密接に関係した空間であり、今後両遺跡のさらなる解明が期待されます。水落遺跡の楼状建物南東において、大規模な四面廂付東西棟建物とその東側に長廊状建物とみられる南北棟建物、その東に雨落溝と考えられる石組溝が検出されました。大規模建物と長廊状建物の位置関係など石神遺跡の7世紀中頃の西区画の建物配置と類似が見られます。
 正確な時を測る漏刻と時を知らせる漏刻台は、役人の勤務時間管理に不可欠な時間の概念とともに、中国(唐)の最新設計・製作技術と時刻制度を導入したことを示しています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
飛鳥水落遺跡は『日本書紀』の記述と考古学の成果との整合性が高いことや、古代からの名称が現在の地名に残されているなど地域と一体となって飛鳥時代を体感することができる歴史文化資源です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』斉明天皇六年の条には「皇太子(中大兄皇子)が初めて漏刻をつくり、人民に時を知らせるようにされた。」と記されており、飛鳥水落遺跡がその立地や構造等を総合して、漏刻跡である蓋然性が高いと考えられます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
斉明天皇と中大兄皇子は激動する東アジア情勢の中、飛鳥を倭国の政治・経済の中心地として急ピッチで都の整備を推し進め、石と水からなる都を造り上げていきました。漏刻の設置による時の支配は最高権力者しか許されない行為で、飛鳥水落遺跡はその痕跡を現代に伝えています。
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』
当資源と関連する伝承
「水落」と呼称されるように水と関連する地名が残されており、水を使った時計である漏刻との関連性が窺えます。
他地域の関連する歴史文化資源
隣接する石神遺跡や飛鳥寺西方遺跡との有機的な関連が考えられます。
問い合わせ先
明日香村総合政策課
電話番号
0744-54-2001

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。