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来迎寺本堂 らいこうじほんどう

記入年月日 2022/04/25

来迎寺本堂
所在地
奈良県奈良市来迎寺町
区分
建造物 | 宗教建築
指定内容
県指定有形文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
来迎寺は、田園と丘陵が広がる都祁地域にある浄土宗西山派の寺院で、多田来迎寺ともいいます。寺の記録では、永久2年(1114)(注)頃の草創と伝えています。中世には多田氏をはじめ東山内衆と呼ばれる豪族の菩提寺として栄えました。当時の繁栄を物語る多数の石塔が本堂裏に残り、延慶3年(1310)の宝塔は昭和29年(1954)に重要文化財に、その周囲の約100基の五輪塔群は昭和45年(1970)に都祁村指定文化財に指定されています。現在の本堂は、江戸時代前期、寛永~正保年間(1620年代~40年代)に再建されたものです。当初は檜皮葺であったとみられますが、現在は銅板葺となっています。桁行5間、梁間5間、寄棟造で、正面に1間の向拝が付きます。向拝の蟇股や木鼻は優れた意匠です。内部は、建物中央部を4本の円柱で囲み、その後方に須弥壇を置いています。中央部・須弥壇・須弥壇両脇の一画を内陣、建物前方と中央部両脇を外陣としています。すなわち、内陣は凸型、外陣は凹型で、典型的な浄土宗本堂の平面です。当初は、浄土宗本堂の通例通り、内外陣境に中敷居(床より高く設けた敷居)と建具による結界を設けていました。現在も中央部を除き中敷居が残っています。平成22年(2010)に奈良県指定有形文化財に指定されました。
注)草創の年号について、「永久」ではなく「承久」が正しいとする説が、近年提示されています。承久2年は西暦1200年です。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
来迎寺本堂は、中世以来、東山内と呼ばれる当地域で連綿と続いてきた民衆信仰の核となる施設です。簡素ながら上品な造りであり、東山内で現存最古の寺院本堂の遺構として貴重です。
当資源と関連する文献史料
・『涅槃山多田来迎寺記録』:正保4年(1647)本堂再建とする。
・寛政4年(1792)棟札:寛永6年(1629)本堂再建とする。『奈良県綜合文化調査報告書 都介野地区』(S27)に掲載。
・慶応3年(1867)棟札
当資源と関連する伝承
来迎寺は、建武4年(1337)に住持了尊が記した創立縁起では、永久2年(1114)頃(注)、広瀬郡中村(現在の北葛城郡広陵町内)出身の顕鏡の草創とされています。顕鏡の一族は多田満仲(源満仲。平安時代中期の初期清和源氏の武将。多田源氏の祖。997年没)の子孫で、後に寺の東方を本拠として多田氏と称したと伝えられています。当寺を多田来迎寺というのはこのためです。
注)前述のとおり、永久2年ではなく承久2年(1200)とする説が近年提示されています。
問い合わせ先
奈良市教育委員会事務局教育部文化財課
電話番号
0742-34-5369

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