芦田池 あしだいけ
記入年月日 2024/04/05



- 所在地
- 奈良県北葛城郡王寺町本町4丁目10
- 区分
- 歴史的景観 | 棚田・里山など
- 指定内容
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 『日本書紀』には、推古天皇15年(607)冬に大和国に高市池・藤原池・肩岡池・菅原池をつくったという記事があり、このうちの肩岡池が芦田池にあたるとする考えがあります。それは王寺町が古代においては片岡の地名であったことを根拠にしていますが、近年は片岡の地が広範囲であったと考えられるようになり、香芝市の分川池や籏尾池が『日本書紀』の肩岡池にあたるといわれています。芦田池は、正安4年(1302)に撰述された「放光寺古今縁起」に記される「葦田上池・葦田中池・葦田下池」に該当すると考えられ、鎌倉時代には存在したことが確認できる溜池です。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 王寺町のなかでも比較的大きな溜池で、歴史的な由来がわかることから、灌漑のためだけでなく、歴史文化資源として捉えられています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 聖徳太子は、叡福寺(大阪府太子町)にある墓を生前からつくらせ、視察に行っていたといわれ、芦田池付近を通っていたと考えられています。太子葬送の道と呼ばれるその道は、聖徳太子が斑鳩で亡くなったのち、ご遺体が葬送されたともいわれています。
- 当資源と関連する文献史料
- 「放光寺古今縁起」「名勝旧跡調査書」
- 当資源と関連する伝承
- 明治32年(1899)の「名勝旧跡調査書」によれば、芦田池は、聖徳太子の時代に農民たちが溜池をつくろうと協議していたところ、翌朝になってみると、たちまちにできあがっており、聖徳太子の霊瑞だと喜んだといいます。このことから、その溜池を翌朝になってみるとできあがっていたという意味で、「朝ノ池(あしたのいけ)」というのだと伝承されていました。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 籏尾池(香芝市)
- 問い合わせ先
- 王寺町地域交流課文化資源活用係
- 電話番号
- 0745-72-6565
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