出会う 奈良県歴史文化資源データベース

興福寺旧境内出土将棋駒・習書木簡・題箋軸 こうふくじきゅうけいだいしゅつどしょうぎこま・しゅうしょもっかん・だいせんじく

記入年月日 2025/01/31

将棋駒・習書木簡・題箋軸
所在地
橿原市畝傍町50番地の2
区分
考古資料 | 木簡・木製品類
指定内容
県指定有形文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 本件の将棋駒・習書木簡・題箋軸の出土地は、興福寺旧境内の一角にあたり、江戸時代には吉祥院(県文化会館周辺)と、観禅院(登大路バスターミナル周辺)が所在した地点にあたります。中世を通じて興福寺の境内地の一部でした。
 吉祥院地区における平成4(1992)年度の発掘調査では、井戸状遺構から将棋駒(玉将3点、金将4点、銀将1点、桂馬1点、歩兵6点、不明1点)が出土しました。これに加え、「天喜六年(1058)」と墨書された題箋軸(巻物の軸)や、表側に「酔像(すいぞう)」「金将」「歩」「歩兵」「歩兵兵」と書かれた習書木簡も出土しました。これらは共伴した土器の年代から11世紀後半頃に埋め戻されている土層から出土しました。題箋軸に記された年号と土器の年代に矛盾がないことから、将棋駒も「天喜六年」に近い年代が与えられます。
 観禅院地区における平成25(2013)年度の発掘調査では、井戸と土坑から将棋駒(酔象1点、桂馬1点、歩兵7点、無銘3点)が出土しました。いずれも井戸あるいは土坑の上層埋土中から出土しています。共伴した土器の年代から、井戸出土品が11世紀後半~12世紀前半、土坑出土品が12世紀中頃とみられ、若干の時期幅を持ちます。
 井戸の上層からは「承徳二年(1098)」銘の題箋軸が出土しており、土器の年代とも矛盾がないことから、「承徳二年」に近い年代が与えられます。
 吉祥院地区出土将棋駒は、日本最古の出土事例です。また、観禅院地区出土将棋駒のうち「酔象」は、鎌倉時代に流行した大将棋や室町時代に流行した中将棋の駒として知られていましたが、本出土例によって、平安時代から用いられていたことが明らかとなりました。さらに、「酔象」以外の中将棋に使用された駒が見られないことから、初期の将棋に「酔象」を用いた38枚制小将棋が存在した可能性があります。
 このように、考古資料として日本最古の出土例であるという重要性に加え、平安時代の将棋駒及び遊戯法の実像を検討する上で貴重であり、日本の将棋の歴史と日本遊戯史にとって重要な資料です。
問い合わせ先
橿原考古学研究所附属博物館
電話番号
0744-24-1185

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。