昔の家を探検しよう

旧萩原家住宅

「入母屋造(いりもやづく)り」という形(かたち)の茅葺(かやぶ)き屋根(やね)をした農家(のうか)。
雨(あめ)や陽(ひ)ざしを防(ふせ)ぐための庇(ひさし)には瓦(かわら)も使(つか)われています。
隅(すみ)には、「厨子(つし)二階(にかい)」と呼(よ)ばれる物置用(ものおきよう)の中二階(ちゅうにかい)が
ついた、牛馬(ぎゅうば)を飼育(しいく)するための馬屋(うまや)があります。

旧吉川家住宅

農家(のうか)の特徴(とくちょう)をよく表(あらわ)している民家(みんか)で、かつては長屋門(ながやもん)とその脇(わき)に納屋(なや)・米蔵(こめぐら)・離座敷(はなれざしき)などの建物(たてもの)が母屋(おもや)を囲(かこ)むように建(た)てられていました。流(なが)しの近(ちか)くには、精米(せいまい)や餅(もち)つきなどに使(つか)われた「唐(から)臼(うす)」があります。

旧鹿沼家住宅

代々(だいだい)米屋(こめや)を営(いとな)んでいた家(いえ)。のれんよりも手前(てまえ)が店(みせ)、奥(おく)が住居(じゅうきょ)としての空間(くうかん)。瓦(かわら)葺(ぶ)きの屋根(やね)にはかまどの煙(けむり)を外(そと)へ出(だ)すための「煙出(けむりだ)し」があり、その上(うえ)に取(と)り付(つ)けられている小(ちい)さな屋根(やね)が特徴(とくちょう)です。横(よこ)から見(み)るとよくわかります。

旧臼井家住宅

  

酒(さけ)や醤油(しょうゆ)を販売(はんばい)していました。入口(いりぐち)にかけられた杉(すぎ)玉(だま)は新酒(しんしゅ)ができたことを知(し)らせる看板(かんばん)の役割(やくわり)。中庭(なかにわ)には井戸(いど)、廊下(ろうか)の先(さき)には手洗(てあら)い、2階(かい)建(だ)ての蔵(くら)などもあります。

旧前坊家住宅

吉野山(よしのやま)にある金(きん)峯(ぷ)山寺(せんじ)の門前町(もんぜんまち)の家(いえ)。お参(まい)りする人(ひと)を泊(と)める宿(やど)の役割(やくわり)もありました。渡廊下(わたりろうか)でつながったユニークな形(かたち)をしています。山(やま)の斜面(しゃめん)に沿(そ)って建(た)てる「吉野(よしの)建(だ)て」という方法(ほうほう)です。

旧木村家住宅

杉(すぎ)の木(き)の皮(かわ)で覆(おお)って石(いし)をのせた屋根(やね)はこの地域(ちいき)ならではの特徴(とくちょう)のひとつ。強(つよ)い雨風(あめかぜ)にも負(ま)けないように、屋根(やね)には雨(あめ)よけの板(いた)も取(と)り付(つ)けられています。母屋(おもや)の向(む)かいにある納屋(なや)は、中(なか)が牛(うし)小屋(ごや)と手(て)洗(あら)いに分(わ)かれています。調理(ちょうり)は囲炉裏(いろり)でおこなわれていました。

旧松井家住宅

「ひろしき」と呼(よ)ばれる板敷(いたじ)きの場所(ばしょ)は現在(げんざい)の台所(だいどころ)にあたり、食事(しょくじ)もここでとられていました。
すのこを敷(し)いた床(ゆか)は、夏(なつ)の暑(あつ)い時季(じき)に風(かぜ)通(とお)しを良(よ)くする役割(やくわり)があります。

旧岩本家住宅

平地(へいち)に比(くら)べて雪(ゆき)が多(おお)い地域(ちいき)の民家(みんか)。大(おお)きな屋根(やね)が特徴(とくちょう)。2階(かい)は絹糸(きぬいと)を作(つく)るためにカイコを育(そだ)てるのにも使用(しよう)。かまどの周(まわ)りには流(なが)しや唐(から)臼(うす)、戸棚(とだな)があります。かまどの上(うえ)には煙(けむり)を利用(りよう)して魚(さかな)などを燻製(くんせい)にする時(とき)に使(つか)う「ベンケイ」(吉野(よしの)地方(ちほう)では「ホデ」など)と呼(よ)ばれるワラづとが吊(つる)されています。

旧八重川家住宅

代々(だいだい)農業(のうぎょう)を営(いとな)んでいた家(いえ)。天井(てんじょう)裏(うら)に「すのこ」を敷(し)いて土(つち)が盛(も)ってあるのは、火事(かじ)が起(お)こった時(とき)に天井(てんじょう)が燃(も)えるのを防(ふせ)ぐためです。また、かまどの上(うえ)にあたる部分(ぶぶん)には煙(けむり)を外(そと)へ出(だ)すための穴(あな)があけられていて、周(まわ)りは土(つち)で固(かた)められて煙突(えんとつ)のような形(かたち)になっています。