天理市の歴史が記載された天理市史には、明治時代から雑柿が 生産されていた記録が残っています。
大正10年には、大寒波があり萱生町で果樹経営の中心であった柑橘が枯れてしまい、その代わりに柿が植えらたそうです。
当時は甘柿の富有柿が中心で栽培されていましたが、昭和30年頃から炭酸ガス脱渋が本格的に始まり、渋柿の「平核無」柿の新植が奈良県内で進んでいきました。
特に、天理市ではこの豊作で病害虫にも強い「平核無」の改植、新植が進みました。
そのような中で、昭和34年、刀根さんの柿園の「平核無」の木が、伊勢湾台風によって折れてしまいました。刀根さんはその柿に「平核無」を接ぎ木したところ、より早い時期に果実をつけるようになり、刀根さんの名前をとって「刀根早生」 と名づけられました。
全国の柿の栽培面積のうち、「富有」柿に次いで2番目に栽培面積が多い品種となった「刀根早生」。「刀根早生」の原木では、今でも片方の枝には「平核無」の青い実がなる一方で、もう片方の枝では「刀根早生」 の柿が色づいています。
はじまりの奈良の取材インタビュー動画も御確認ください。
また、「かよの柿」は海外への輸出にも挑戦しています。