歌に詠まれた「耳無の池」とは、奈良県橿原市の耳成山(みみなしやま)の麓にかつてあった池です。現在、南麓の耳成山公園内の古池のほとりにこの歌の碑が建てられていますが、古代に「耳無の池」と呼ばれていた池がどこにあったかはよくわかっていません。 耳成山は、香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)とともに大和三山と呼ばれ、『万葉歌』(巻一・一三番歌、五二番歌など)にも詠まれています。藤原京の中心部である藤原宮は、三山に囲まれた地に営まれました。 この歌は、漢文で書かれたエピソードとともに『万葉集』に収載されています。昔、三人の男性が一人の女性に求婚したが、その女性は、一人の女の命は露のようにはかなく、三人の男の気持ちが和らがないのは石のようだ、と嘆いて池に身を投げて没した、その時、三人の男性たちは深い悲しみに堪えられず、それぞれに思いを述べて歌を作った、という内容です。この歌は、その三首の短歌のうちの第一首にあたります。 『万葉集』巻十六には、こうした何らかのいわれを持つ歌々が収められています。巻頭には、昔、桜児という女性を二人の男性が取り合い、桜児は木の枝に首をつってしまった、というエピソードとともに、残された二人の男性が詠んだ歌が載っています(三七八六~三七八七番歌)。それに続いて今回の歌があることから、複数の男性が一人の女性に求婚して争い、悲しい結末を迎えるという悲話が、古代の人々を惹きつけたことがうかがえます。 同じような悲恋の伝説は摂津にもあり、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)(巻九・一八〇一~一八〇三番歌)、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)(同一八〇九~一八一一番歌)、大伴家持(巻十九・四二一一~四二一二番歌)らが詠んだ歌が残っています。 (万葉文化館 井上さやか)
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