五條市の東部、吉野川沿いに広がる東阿田・西阿田・南阿田町一帯の地は、かつて『万葉集』に「安太(あだ)」と詠われた場所です。安太に住む人々は、川に杭(くい)を打ちこみ、そこに簀(す)を張って魚を獲る「梁(やな)」という漁をしていたようです。『日本書紀』にも神武天皇が東征するなかで出会った土着の民について、次のような記述があります。 水(かは)に縁(そ)ひて西(にしのかた)に行きたまふに及(およ)びて、亦梁(や な)を作(う)ちて取魚(すなどり)する者(もの)有り。天皇問ひたまふ。対へて曰 さく、「臣は是(こ)れ苞苴担(にへもつ)が子なり」とまうす。此則ち阿太(あだ) の養鸕部(うかひら)が始祖なり。 ここでもやはり安太に住む人々が梁を使って魚を獲っていたことがわかります。 右の歌は、その安太の人が梁をうって漁をする吉野川の激流のように、と上三句までが比喩の表現となっています。下二句がこの歌の本意で、周囲の妨げによって逢うこともままならない秘めた恋心が詠まれています。 『万葉集』にはこのような秘密の恋を詠んだものがいくつかあり、たとえば、「他辞(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み逢(あ)はざりき心あるごとな思ひわが背子(せこ)」(巻四の五三八)のように、噂が煩わしいから逢わなかっただけで浮気したと思わないでねといった歌や、「人(ひと)眼(め)多み逢はなくのみそ情(こころ)さへ妹を忘れてわが思はなくに」(巻四の七七〇)のように、人目が多いから逢わなかっただけで心まで忘れたわけではないよといった歌がみられます。 家族や職場、仲間内にはナイショの交際。不安でもどかしい恋心は今も昔も変わりませんね。 (本文 万葉文化館 小倉 久美子)
五條市を東西に流れる吉野川の沿岸には、芝崎、高岩、ナメラなどの奇岩景勝の場所が多くあります。昭和59年に国体のカヌー会場となった所でもあり、休日になるとカヌーや鮎釣りなど、水辺の遊びを楽しむ人たちでにぎわいます。10月には大川橋近くに「梁漁」の仕掛けが設置されます。
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