「朝妻」と聞いて、みなさんは何を連想しますか? 人の名字や琵琶湖畔の地名、あるいは歌舞伎舞踊の「朝妻船」を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうか。しかし奈良県で生まれ育った方の多くは、金剛山の東麓(とうろく)、御所市朝妻の地を思い浮かべるのではないかと思います。 この歌に詠まれた「朝妻」とは、まさにその御所市朝妻のことです。興味深いのは、その地名を連想させ導き出すことばとして、「子らが名に懸(かけ)の宜(よろ)しき」と表現されていることです。 ここでいう「子」とは子どものことではなく、いとしい女性のことです。直前の短歌(一八一七番歌)にも「朝妻山」が詠まれていて、「朝妻」という地名が、いとしい「妻」の「朝」の様子を思い起こさせていたことがわかります。共に夜を過ごした男性側から見て、翌朝の妻の様子というのは、いつも以上に親密でいとしいものなのかもしれません。 この「朝妻」の地は、天武九年(西暦六八〇年)九月九日に天武(てんむ)天皇が行幸した地でもありますし(『日本書紀』巻第二十九)、近くには、平安時代の書物である『延喜式(えんぎしき)』の神社一覧にも掲載された高鴨(たかかも)神社があります。また、同じく平安時代の『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』という書物には、有力な氏族である秦(はた)氏の先祖が「朝津間」に住んでいた、とも書かれています。 由緒(ゆいしょ)ある地名をいかした恋歌のような表現が特徴的ですが、春の山にたなびく「霞」を詠む歌であり、そこに深い味わいを感じます。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
日本神話のふるさと・御所市を南北に走る葛城古道。金剛山・葛城山のふもとに「高天彦(たかまひこ)神社」や「葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社」など記紀に登場する地名や神々を祀る古社が点在しています。神代の時代に思いを馳せながら、のどかな田園風景の中を歩いてみませんか。
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