黄泉国(よみのくに)から戻ったイザナキは、聖なる水辺で死者に触れたけがれを洗い清めました。衣を脱いだり体をすすいだりする度にさまざまな神が生まれて、最後に、左の目から天照大御神(あまてらすおほみかみ)が、右の目から月読命(つくよみのみこと)が、鼻からは建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれました。天照大御神は高天原(たかあまのはら)を、月読命は夜之食国(よるのをすくに)を、建速須佐之男命は海原を治めるよう言われました。ところが、建速須佐之男命は亡くなった母に会いたいと大声で泣くばかりで、とうとう追い出されてしまいます。姉の天照大御神に別れを告げに行くと、国を奪いに来たと誤解されてしまいました。邪心のないことを証明してみせたものの、その勢いのままに田の畦を壊したり大便をまき散らしたりと大暴れして、ついには神の衣を織っていた女性に馬の残酷な死体を投げつけ驚かせて、死なせてしまいました。 天照大御神はそれを見て、天の岩屋にこもってしまいます。太陽の神様が隠れてしまったことで、天地は暗闇に閉ざされ、あらゆる災いが起こりました。困った神々は集まって相談し、夜明けを告げる鳥を集めて鳴かせ、鏡や勾玉(まがたま)の飾りなどを作って神事を行い、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩屋の前で神がかりして踊り、他の神々が一斉に笑い声をあげてみせました。不審に思った天照大御神が戸を少し開いたところを、天手力男神(あめのたぢからを)が引き出して、天地に明るさが戻ったということです。日食(にっしょく)か冬至(とうじ)の神話ではないかといわれています。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
編集部の古事記コラム 今回のお話がそうだったのかは分かりませんが、過去に日食が起こった日は、コンピューターの計算で遡って算出できるそうですよ。 それによると、紀元前728年3月には日本のほとんどの部分で、太陽が全部隠れる皆既日食が4分くらい続いたようです。 その後何度か日食があった後、628年に起こった皆既日食は、日本書紀に書かれている、推古天皇の時代の日食ではないかと言われているそうです。 次に奈良県で見られる日食は、2312年。ずいぶん先ですね。
< 前号(2013.6月号第2話)へ 次号(2013.8月号第4話)へ >
スマホアプリ「マチイロ」でも電子書籍版がご覧になれます。 詳しくはこちら
電子書籍ポータルサイト「奈良ebooks」でもご覧になれます。 詳しくはこちら