はじめての古事記

 

 倭健命(やまとたけるのみこと)という人物をご存じでしょうか。彼は当初から倭健命(やまとたけるのみこと)という名前ではなく、父である景行(けいこう)天皇から熊曾健(くまそたける)を服従させるように命じられ、見事に討ち取ったことから強さを讃(たた)えられてその名が付けられました。
 戦に長(た)けていた倭健命(やまとたけるのみこと)は、西へ東へと大和朝廷に服従しない勢力を制圧していきます。その戦法は少しユニークです。たとえば、熊曾健との対戦には、叔母である倭比売命(やまとひめのみこと)の衣裳を持って行きました。ときに熊曾健は新築祝いの宴の真っ最中。倭健命(やまとたけるのみこと)は女装することで宴の場に忍び込み、油断した熊曾健に近づくことができたのです。あるいは出雲健(いずもたける)を討つときは、まず彼と友達になりました。そしてひそかに木でできたニセモノの太刀を持って一緒に水浴びにでかけます。先に川から上がった倭健命(やまとたけるのみこと)はそれぞれの太刀を交換しようと持ちかけた後、太刀あわせに誘いニセモノの太刀が抜けなかった出雲健を倒したのでした。
 しかし、そんな倭健命(やまとたけるのみこと)もとうとう敗れることになります。それは伊吹山(いぶきやま)の神へ戦いを挑んだときのことです。彼は倭比売命からもらった草なぎの剣を使わず、素手で討ち取ろうとしますが、返り討ちにあい結果的に命を落としました。最期は自らの油断から身を亡ぼすことになったのです。
(本文 万葉文化館 小倉 久美子)



編集部の古事記コラム
 古事記では倭健命は伊吹山で傷を負い、能煩野(のぼの)という場所(三重県の亀山市付近と言われています)で亡くなったと書かれています。亡くなる前、倭健命は帰れないふるさとへの思いをこめ、次のような歌を詠みました。
『倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣(あをかき) 山籠(やまごも)れる 倭し麗(うるは)し』
(大和は国の中でも最もよいところだ。重なり合った青い垣根の山、その中にこもっている大和は美しい)
『命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子』
(命の無事な人は、大和の国の平群の山の大きな樫の木の葉をかんざしに挿せ。おまえたちよ)

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