下巻の冒頭をかざるのは、仁徳天皇です。ここでは第十六代の仁徳天皇が、聖帝として語られています。しかし実際には、事績を記す部分は少なく、大部分は妻に焦点があてられています。 その妻の名を石之日売命(いはのひめのみこと)と言います。石之日売命は、『万葉集』にも名を載せるほどの有名人でした。 では、なぜ石之日売命の伝承が、それほど有名となったのでしょうか。おそらくそれは、極端に嫉妬(しつと)深い人物で、物語の材料になりやすかったからだと思われます。 仁徳天皇記には、その嫉妬深さを表す具体的な物語が載せられており、ここでは吉備の豪族の娘、黒日売(くろひめ)の話を紹介します。 天皇は、美しいと評判の黒日売を、さっそく宮中に出仕(しゆつし)させます。ところが黒日売は、だんだんと石之日売命の嫉妬に恐怖を感じるようになり、逃げるように難波(なには)から船で帰ってしまいました。 船で帰っていくようすを高台から見た天皇が、未練がましく恋歌を詠んだまではいいのですが、なんとその歌を石之日売命が聞いていたのです。大いに怒(いか)った石之日売命は、黒日売を船から降ろし、歩いて吉備まで帰らせるよう仕向けたそうです。 このように度を超えた妻の嫉妬も、当の天皇はお構いなしで、その後、内緒で黒日売に会いに行ったり、石之日売命の留守中に、新しい妻を迎えたりしています。 こう見ると、石之日売命の嫉妬の物語は、仁徳天皇あってのことなのかもしれません。 (本文 万葉文化館 竹本 晃)
編集部の古事記コラム 今回のお話のように、夫が妻以外の女性とも公然とおつきあいすることは今では考えられませんね。 しかし、古代の貴族社会では一人の男性が複数の妻を持つ一夫多妻は一般的だったようです。 その他にも女性の家に男性が通うという妻問婚、生まれた子どもは女性側の家族が育てる母系制等の特徴があったようです。 一般の人々の間でも、男女がお互いに好きな間は一緒に過ごし、好きでなくなると別れるという自由な結婚のスタイルだったと言われています。 時代と共に社会の状況は変わりますが、人を好きになる気持ちは今も昔も変わりませんね。
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