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◆行基(ぎょうき)菩薩~百済の血を引く大僧正~ |
奈良公園の玄関口、近鉄奈良駅前に東大寺大仏殿の方を向いて立つ行基菩薩像。「行基菩薩」として、今なお多くの人々から慕われている行基が、百済の血を引いていたことはご存知でしょうか。
行基は、668年、河内国大鳥郡(かわちのくにおおとりぐん)(現大阪府堺市)に生まれました。父は高志才智(こしのさいち)、母は蜂田古爾比売(はちたこにのひめ)で、高志氏は百済から渡来した王仁(わに)氏の子孫と言われています。
15歳で出家し、飛鳥寺の道昭(どうしょう)を師とした行基は、一般民衆への仏教の布教が厳しく制限されていた奈良時代に、身分などを問わず広く仏法の教えを説いてまわり、井戸・船・橋などを造る社会事業にも努めたことにより、人々より篤く崇敬(すうけい)されました。
東大寺の建立と慮舎那仏(るしゃなぶつ)造立を強く願っていた聖武天皇は、それらを達成するためには、民衆から幅広い指示を得ていた行基の力が必要と考え、743年、行基を慮舎那仏造立の実質上の責任者として招聘(しょうへい)し、745年には日本初の「大僧正」に任命しました。
多くの人々の尽力により、752年、慮舎那仏はついに完成しましたが、「大仏開眼供養会」が盛大に執り行われたのは、行基が亡くなって3年後のことでした。
朝廷からの弾圧の中、仏教の流布と人々の救済という強い信念を持ってその試練を乗り越えた行基。仏教と自らのルーツの「ゆかり」に、馳せる想いがあったのでしょうか。
近鉄奈良駅前の行基菩薩像
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問 県国際観光課
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