奈良のむかしばなしって?
奈良のむかしばなしは、奈良に古くから伝わるむかしばなしをご紹介するコーナーです。
第52話 故郷恋しと泣いたつり鐘
奈良県の北西にある大和高田市。
市のほぼ中央を、古代の官道(国道)横大路が東西に走る。今の国道166号。桜井市から當麻(たいま)へ。さらに竹内街道へと続き、難波(なにわ)へ至る。
その横大路に面して戦国時代、高田城が築かれた。江戸時代、この道は伊勢街道として、伊勢神宮をめざす「おかげ参り」の人たちで賑わった。
今回は、そんな大和高田市にある不動院(大日堂)に伝わる鐘のお話。
昔、ある秋のこと。米が不作で年貢米が納められないとお百姓さんたちが困っていた。大日堂の和尚さんは、
「仕方がない。お寺の鐘を売りなされ。これは、皆さんのご先祖さまが寄進されたもの。子孫の難儀が助かるなら、ご納得くださるやろ。」
つり鐘は、郡山のお寺に売られた。だが、鐘はもとのお寺が恋しいと、毎晩「うわん、うわん」と泣いた。
困った住職は、道具屋に相談した。そして今度は山城の国(京都)のお寺に買われていった。ここでも鐘は住職の夢枕に立ち、「ふるさとの大和の高田が見えん。もっと高いところがええ」とまた泣いた。
檀家たちが集まって相談した。
「つり鐘に彫られた銘文の文字を削り取ってはどうか。銘文には村人たちの魂がこもっているに違いない」。
さっそく職人が呼ばれ、文字が削られた。すると、なんと不思議や、その日から、つり鐘は泣くこともわめくこともなく、よい音色を村中に響かせたという。
本堂の外陣(げじん)に入ると、磨き込まれた広い板の間。奥が、内陣(ないじん)。ご本尊の大日如来像は鎌倉時代の秀作だ。
市街地の中にありながら、これほど落ち着いた静かな空間があったことに驚かされる。故郷を恋しがったつり鐘の鐘楼(しょうろう)は、かつてこの本堂の西南にあったということだ。
不動院(大日堂)
本堂は、連子窓(れんじまど)に桟唐戸(さんからと)など中世の建築様式による簡素で落ち着いた建物。棟木の銘から、文明15年(1483)、高田城主 當麻(とうま)為長の建立と分かる。国の重要文化財。
桜まつり
大和高田市の高田川沿いの南北2.5キロにわたり桜並木が続く。毎年、3月末から4月上旬には見ごろを迎え、川沿いの大中公園を中心に桜まつりが開催される。
物語の場所を訪れよう
不動院(大和高田市本郷町)へは
- JR和歌山線高田駅から南へ約400m
- 近鉄大阪線大和高田駅から南へ約800m