奈良のむかしばなしって?
奈良のむかしばなしは、奈良に古くから伝わるむかしばなしをご紹介するコーナーです。
第53話 後藤又兵衛ゆかりの里
本文
大坂夏の陣(一六一五年)で活躍した武将、後藤又兵衛。六尺(約一八〇センチ)を超す巨漢で、槍の名手。かつて講談師が語る講談や歴史読み物で豪傑として描かれ人気を博した。
その又兵衛ゆかりの里が、宇陀市大宇陀本郷と伝えられている。だがその前に、又兵衛とはどんな人物であったか少し見ておこう。
播磨(兵庫県南西部)の生まれ。黒田孝高(よしたか)、長政の父子に仕えた。長政に従って、文禄元年(一五九二年)の豊臣秀吉の朝鮮出兵や、慶長五年(一六〇〇年)の関ヶ原の戦に出陣、数々の武功をあげた。
その後、時の将軍徳川秀忠は、大坂城主の豊臣秀頼を滅ぼそうと挙兵。豊臣方は堅固な要害である大坂城に籠城、この時も、又兵衛は籠城軍の大将として活躍した。
いったん、和睦が成立したが、翌年、戦闘再開。五月、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡。この時、又兵衛も河内の道明寺の戦で鉄砲隊の銃撃を受け戦死した。
さて、ここからが今回のお話。
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又兵衛は、戦には敗れたが、実は、紀州(和歌山県)を回って、大和の宇陀へ知人を頼り落ち延びたという。
本郷の地の温泉で傷を癒やし、大坂の豊臣家再興の時を静かに待っていた。
だが、時代は徳川家の天下となるや又兵衛は武士をやめ、僧侶となった。姓も、後藤では敵の徳川方に狙われると案じ、「水貝」と変えた。
水貝は、毎日念仏を唱え、亡くなった豊臣方の多くの武士の霊を弔ったといわれる。
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江戸時代中期に建立された「中興開基水貝五代後藤氏」と刻まれた墓が当地の薬師寺に残る。「又兵衛桜」も後藤家の屋敷跡にあるということだ。
春四月、「又兵衛桜」は満開の時を迎えた。薄紅色の花を付けた無数の枝が、滝のように華麗に降り注ぐ。
物語の場所を訪れよう
又兵衛桜まつり
樹齢300年ともいわれる、高さ13m、幹周り3mを超えるしだれ桜は、NHKの大河ドラマのオープニング映像にも使われた。周辺には山桃や桜もあり、毎年4月上旬から中旬には地元住民が中心となり桜まつりも開催され、多くの観光客が訪れる。
松山地区(重要伝統的建造物群保存地区)
城下町から商家町として発展した歴史的町並み。町家群の中に今も人が暮らすが、郷愁を誘う景色が好評でここ数年でカフェが増えた。平成18年に国の重伝建地区に選定された。
問い合わせ
宇陀市商工観光課
電話番号
0745-82-2457