「巻向」は現在の桜井市で三輪の北方にあたります。今も箸墓をはじめとする古墳や、垂仁(すいにん)天皇の纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)跡伝承地などが存在し、古代を偲ばせます。 JR万葉まほろば(桜井)線の巻向駅から東へ進むと、景行(けいこう)天皇の纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)跡伝承地や穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社があります。このあたりを今「穴師」といいます。ただし右の歌にあるように『万葉集』では「痛足」(写本によっては「病足」とも)と表記されています。「痛足の川」は巻向川が穴師付近を流れる際の呼称であると考えられています。例えば上流を吉野川といい、下流を紀ノ川というように、同じ川の流れであっても場所によって名称が変わるためです。 この歌は痛足川(穴師川)を流れる水が絶えないように、絶え間なくこの川を見続けよう、と痛足川を褒め称えています。実は『万葉集』にはこれとよく似た歌があります。それは「見れど飽かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む」(巻一の三七番歌)で、吉野行幸の時に柿本人麻呂が詠んだ歌です。こちらは吉野川を褒め称えた内容となっています。 「柿本朝臣人麿歌集」は『万葉集』より古い歌集で、柿本人麻呂によって編纂されたと思われていますが、残念ながら現存しません。『万葉集』を見る限り、この歌集には巻向を詠んだ歌が他にもいくつかあります。巻向から北へいった天理市の櫟本を柿本人麻呂の出身地とする伝承がありますが、それと考えあわせると想像が膨らみますね。 (本文 万葉文化館 小倉久美子)
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