倉塚・一本松・文代山古墳

3. 倉塚古墳(スベリ山古墳)

倉塚古墳は墳丘主軸を東西にとる前方後円墳です。また、かつて径90メートルの円墳といわれていましたが、調査をしてみると倍の全長180メートルの前方後円墳とわかるなどまだまだわからない点が多い古墳です。築造は5世紀前半とされています。
倉塚古墳 航空写真
倉塚古墳の様子 航空写真(橿原考古学研究所提供)

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4. 一本松古墳

一本松古墳は発見当初、山としての名称がわからず大字名から寺戸前方後円墳とされましたが、後に一本松山と呼ばれていることがわかり、一本松古墳と名付けられました。発掘調査によって集濠の一部と外堤が確認され、その外堤から円筒埴輪が出土しました。また、外堤に接して一辺12~14メートルの方墳(一本松2号墳)も検出されています。
一本松古墳 一本松古墳
一本松古墳 墳丘の様子
一本松2号墳の調査状況 一本松2号墳の石室
一本松2号墳の発掘の様子
(橿原考古学研究所提供)
一本松2号墳の円筒棺
(橿原考古学研究所提供)

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11. 文代山古墳(公園区域外)

文代山古墳は中央エリアの東地区から見ることのできる大型の方墳です。墳丘は鎌倉時代末から江戸時代にかけて耕地利用による改変が著しく、1994年から保存のための範囲確認調査が実施されています。造り出し周辺では猪形・犬形・馬形の動物埴輪が出土し、そのほかにも蓋形・家型埴輪、円筒埴輪、須恵器が集濠から出土しています。
ナガレ山古墳 猪形埴輪(文代山古墳出土)
航空写真(広陵町教育委員会提供) 猪形埴輪(広陵町教育委員会提供、佐藤右文氏撮影)

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