「荒ぶる神がひしめくここから、奥に入ってはいけない。八咫烏(やたがらす)を遣わし導かせよう」。 天(あま)つ神の御子であるカムヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が熊野から大和へ入ろうとしたとき、天から高木神(たかぎのかみ)の声が響きました。 イワレビコは八咫烏に先導されて熊野の山中を抜け、吉野、宇陀、忍坂(おさか)と軍を進めて大和を平定。橿原に朝廷を開いて初代・神武天皇が誕生しました。 この八咫烏を祀(まつ)るのが、宇陀市にある八咫烏神社です。ご祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)。社伝によれば、八咫烏はこの神の化身と伝承されています。 社の創始は古く、『続日本紀』(しょくにほんぎ)に飛鳥時代の慶雲2年(705年)、宇陀に八咫烏社を祀る、との記述が残ります。 神武天皇を橿原まで案内し、「神武東征」の勝利に貢献した„導きの神“„勝運の神“として古来より崇敬を集め、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰により大いに栄えたと伝わります。 そして現代。八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークおよび日本代表の紋章となり、再び脚光を浴びています。「ボールをゴールへ導きますように」と、境内にもサッカーボールを頭上に載せた八咫烏の像が羽を広げます。古来も今も、勝利へと。軍神を祀る古社は、人々の祈りを受けて、鎮守の杜にたたずみます。
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