春四月、日本一の桜の名所、吉野山は、満山、薄紅色の桜で包まれる。 花の盛りの四月十一日、十二日に行われる、荘厳にして華麗な法会(ほうえ)が「花供懺法会」。 吉野山のご神木として崇められてきた山桜を、金峯山寺(きんぷせんじ)の本堂(蔵王堂(ざおうどう))の本尊、蔵王権現(ざおうごんげん)に献じ、今年の桜の開花を報告する。今回は、その儀式の始まりについてのお話。 昔、桓武(かんむ)天皇が長岡の宮でご病気になられ、吉野山の高僧、高算上人(こうさんしょうにん)をお召しになった。 上人は急いで都に上り、病気平癒(へいゆ)のご祈祷(きとう)をした。ご病気はたちまちに平癒され、喜んだ天皇は、上人に、「望むことがあれば、何なりと申せ」と仰せられた。 上人は感涙(かんるい)にむせびつつ、「衣をまとう僧の身、何の望みもございません。ただ、歴代天皇のご祈祷の寺で、毎年、花の神様を供養するお金がございません。お米の喜捨(きしゃ)をお許し願いとうございます」と言った。 早速、金峯山寺では全国の末寺に命令を下した。 その勧進(かんじん)の方法は独特で、民家の門々に立って、「吉野山花供懺法」と声高に呼ぶだけ。皆喜んで米を喜捨してくれたそうだ。
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寺では、集められたお米で餅(もち)を搗(つ)いた。これがたくさんの杵(きね)で餅を搗く「千本づき」。今も、四月十日に行われ、餅は丸めずに、ちぎったままでご本尊に供えられる。桜花の代わりであろうか。 十一日・十二日には、呼び物の大名行列。法螺(ほら)貝の音を合図に、毛槍(けやり)、挟箱(はさみばこ)を持った奴、僧侶、稚児、鬼、山伏、信徒ら、総勢三百人が、竹林院から蔵王堂まで、桜の花の下を練り歩く。法要、採灯大護摩供(さいとうおおごまく)(検索してね)のあと、最後に櫓(やぐら)の上から「千本づき」の餅が撒(ま)かれる。 大ぜいの参詣人が歓声とともにどっと櫓の下に集まり、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の象徴である餅を競って受け、一年の無病息災を祈願する。この餅が、撒かれるさまは、まさに桜吹雪のよう。 吉野山のご神木である満開の桜は、まためでたい春の蘇りの喜びでもあるらしい。
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