毎年、梅の花がほころんでくると、もう春だなあと感じます。冬の間、表面的にはなんの変化もないように見えた固い皮の下では、春への準備が着々と進んでいたのかと思うと、植物の持つ力に心を打たれます。 古代の人々も、早春に咲く梅の生命力を愛していたようです。 「ももしきの大宮人」とは、多くの石を敷き詰めて築いた宮殿と、そこに仕える官人たちをほめたたえた表現とみられます。この歌では、宮廷に仕える人々が梅の花を髪に挿(さ)して集うようすが詠まれています。 植物を髪に挿すのは、単なる飾りではなく、その植物の持つ生命力を人間の身につけるという、呪術(じゅじゅつ)的な意味あいがありました。
この歌は「野遊び」と題された四首の中の一首で、歌中に「ここ」とあるのは、他の歌から、春日野であったことがわかります。「野遊び」とは、生活する空間とそれ以外との境界で春の生命力を得るための呪術的な行事であり、春日野は、平城京に隣接した「野遊び」にふさわしい場所でした。 一方、ウメは外来植物で、奈良時代にはまだ珍しい植物でした。「梅」という漢字の音を和風に発音したのが「ウメ」だということです。 『万葉集』や日本最古の漢詩集である『懐風藻(かいふうそう)』には、梅の花びらを雪と見紛(みまが)うという趣向の詩歌がいくつかあります。そのことから、当時は白梅が好まれたと考えられています。 (本文 万葉文化館 井上 さやか)
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