今回は「無題(Untitled)」にするのをやめておきます。
奈良県立美術館は現在臨時休館しておりますが、一年前、コロナ禍で全国的に緊急事態宣言が発令され、ほぼ全国の美術館が臨時休館した時にも同様に臨時休館となりました。その時は特別展として「熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」(会期:2020年4月18日~7月5日)を開催予定でしたが、予定通りのスタートとはいきませんでした。ほぼ一ヶ月遅れてようやく5月18日から開幕することができたものの、会期中の講演会やギャラリートークは感染拡大防止のためすべて中止となってしまいました。その名残り(?)として 展覧会のチラシ(pdf 2049KB) をアップしておきましょう。
今までこのコーナーで過去のことを書いてきたのでご想像つくように、私は現代美術分野の学芸員です。当館に転職してきて最初に手掛けたのがこの展覧会だったわけですが、出鼻をくじかれた感じになってしまいました。
美術というジャンルには、パトロン(支援者)とコレクター(収集家)の役割は欠かせません。奈良県立美術館も設立(1973年)のきっかけは、吉川観方というユニークなコレクター(同時に画家・風俗史研究家)からのコレクション寄贈がきっかけでした。そして、吉川コレクションとともに当館所蔵品の核をなすのが、関西の企業家・化学者、大橋嘉一氏(おおはし・かいち 1896~1978)が収集した戦後日本絵画のコレクション約500点なのです。
大橋コレクション全体は、主に1950~60年代の絵画・版画・彫刻約2,000点にのぼり、氏の没後、1978年に奈良県立美術館と大阪の国立国際美術館、そして氏の母校である京都工芸繊維大学の美術工芸資料館に分割して寄贈されました。本展は大橋コレクションから選んだ絵画90点を紹介するもので、3館に分散した大橋コレクションが(その一部だけとはいえ)一堂に会するのは「熱い絵画」展が初めてだったのです。
現代の作家にとって最大の支援は、言うまでもなく作品が購入されることで、現代美術のサポーターとしてのコレクターの役割は重要です。日本現代美術のプライベートコレクションというと、1950~80年代の作品を集めた山村德太郎氏(1926~86)の「山村コレクション」(現在は兵庫県立美術館に収蔵)や、1990年代以降の作品に集中した高橋龍太郎氏(1946~)の「高橋コレクション」(近年各地の美術館で企画展として開催)などが知られています。大橋コレクションは、日本現代美術への眼力と愛情で築かれたプライベートコレクションの、まさに先駆的存在と言えるでしょう。
そんな展覧会だったのですが、あいにくのコロナ禍で制約を課された開催になったのは残念です(開催できただけでも幸いと言うべきか)。戦後日本美術の前衛たちを再検証する上でも貴重なコレクションなので、いつか機会があればもう一度やってみたいところではありますが。
「熱い絵画」展は主に1950~60年代の「熱い」実験精神に溢れた作品で構成しましたが、その中には関西在住の須田剋太(すだ・こくた 1906~90)や津高和一(つたか・わいち 1911~95)の作品がいくつか含まれています。
私はこのコラムの第1回で、幻に終わった大阪府立現代美術館設立構想にかつて従事していたことを書きました。実は、その大阪府の現代美術コレクションに須田・津高両氏の作品がかなり収められています。そして、私は平成初期の大阪府在職中に、そのコレクション収集の過程でおふたりのご自宅にお邪魔したこともあったのです。
須田さんはお目にかかったときにはお元気でしたが、間もなく突然の病に倒れ、亡くなられてしまいました(一度だけ入院先までお見舞いにうかがいました)。津高さんはご高齢にもかかわらず大変お元気で、ご自宅を訪れたら予想外の酒宴になってしまったことを覚えています。以前も書いたように、私は短期間で大阪府を辞めてしまったのですが、津高さんは残念ながらその後の阪神淡路大震災で自宅が倒壊し、奥様と共に亡くなられました(その後、地元の西宮市大谷記念美術館で追悼の展覧会が開かれました)。
四半世紀の年月を経て私が東京から関西に帰ってきて、ひさしぶりにおふたりの作品に接する機会となった、そんな展覧会でもありました。
安田篤生 (学芸課長)