四館連携企画「聖武天皇の想いと事蹟」
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司
今年は、聖武天皇が即位されてから1300年の記念の年にあたります。そこで県立図書情報館長の千田稔先生のご発案で、奈良県文化施設連携企画の連続シンポジウム「聖武天皇の想いと事蹟」を下記チラシの要領で開催することになりました。そして奈良県立美術館では、10月27日(日)13:30から当館ギャラリーにて「東大寺を創ったひとびと〜四聖御影を中心に〜」と題し、東大寺第224世別当・橋村公英さまによる基調講演と千田稔先生をお迎えした座談会を企画しました。
聖武天皇は、それまでの天智天皇(中大兄皇子)系の皇位継承の血筋ではなく、天武天皇(大海人皇子)系で、しかも皇族ではない藤原不比等の娘・宮子を母とするという当時の皇統としては異例な出自でした。そして、幼少だったために元明、元正といういわば中継ぎの女帝のあとに即位されたこともあり、その政権基盤は堅固なものではなかったといわれます。
それに加え、藤原四兄弟と対立した天智天皇嫡流の長屋王の反乱、天然痘の大流行、藤原広嗣の乱、大地震の頻発など社会不安が続発しました。そうしたことが影響したのでしょうか、740年から伊勢国や美濃国へと行幸を始められ、恭仁京(木津川市加茂)へ遷都しその離宮として紫香楽宮などを造営した「彷徨五年」と言われる不可解な行動を取られました。
恭仁京に近い紫香楽宮の甲賀寺で大仏造営を始めたのは、中国の長安と龍門の石窟寺の関係にならったと考えられますが、様々な反対や山火事など不穏な事態が続発したため作業を中止して平城京に還都され、その後、急ピッチで造営が開始された東大寺の大仏は、752年に開眼法要が営まれました。釈迦の死後1500年間に訪れるとされた正法、像法、末法の三つの時代の内、「像法(釈迦の没後500年が経ち、真の悟りを開くものがなく経典や仏像のみがある時代)」であったことを受けての巨大金銅仏の造立であったことは注目に値します。
歴史をもしもで語るのは憚られることですが、それでも聖武天皇のご即位や東大寺の造立がなければ、現在の奈良市どころか、日本のありようまでが根本的に変わっていたことは想像に難くありません。
大仏鋳造の発願者である聖武天皇と、初代の東大寺別当・良弁、開眼導師・菩提僊那、勧進や土木工事に絶大な貢献をした行基らの「四聖(ししょう)」と、彼らを支えた光明皇后について、東大寺第224世別当・橋村公英さまに時代背景とともにお話しを頂き、その後、千田先生をお迎えして思う存分「聖武天皇の想いと事蹟」を語り合って頂こうと思います。
みなさまの奮ってのご参加をお待ちしています。
(2024年10月2日)
詳細は上画像から
小泉淳作「聖武天皇像」平成18年(2006)東大寺(画像:東大寺提供)
小泉淳作「光明皇后像」平成18年(2006)東大寺(画像:東大寺提供)
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