特別展「生誕130年記念 髙島野十郎展」、臨時休館中のまま閉幕となりましたが、27日から29日までの3日間、特別鑑賞の機会ということでご覧になっていただく期間が設けられました。とはいえ、次回会場の瀬戸内市立美術館につきましても臨時休館期間が延長となりまして(6月1日現在)、髙島展をなかなかご覧になっていただけない状況が続いております。残念ではございますが、すこしでも状況が良い方向になっていっていただきたいと願うばかりです。今後の各会場の開幕状況につきましては、それぞれの会場の公式な情報をご確認いただければと思います。
何度かこのコラムにも書かせて頂きましたが、臨時休館以降、動画配信を充実させて少しでも展覧会の内容をお伝えするべく撮影を行ってきました。先日はその集大成として講演会の録画と配信を行いました。※配信は講演会にお申込いただいた方への限定配信の形で行いました。
講演会は講師の西本匡伸氏(福岡県立美術館学芸員)に福岡からWEB会議ツールを使用してご講演いただき、奈良の私との間でお話いただいた内容を録画する方式で行いました。私自身には初めての方法で、録画のトラブルはないか、出来映えはどうかなど、多くの不安がありましたが、結果的には西本氏のお話がとてもすばらしく、貴重な機会となりました。これもひとえに西本氏の長年に渡る蓄積からくる豊富な話題と、学芸員としてベテランの風格を備えた堂々たるお話振りによるものなのですが、収録中はそれを私ひとりで聞かせていただく贅沢な時間となり、同時に、私自身の未熟な話しぶりと比較してなぜこれほどまでに違うのかということを改めて考えましたので、今回はそんなお話です。
実は、収録した動画は1時間30分以上ありました。配信した動画は1時間程度でしたので、余計な段取りの時間を除いても本編のご講演の後で更に数10分、更には録画終了後にも結構な時間、あれこれと西本氏とお話をさせていただきました。これは中々表に出せない、いわばオフレコのお話も含まれておりましたが、何故表に出せないのにこのお話をしたかというと、これがとてもよくあることで、この時間が本編に勝るとも劣らない位、面白いエピソードたっぷりで盛り上がってしまった時間なのです。盛り上がったのは西本氏と私も講演の収録が無事に済んでリラックスしていることもありますが、こうした“その場限り”のお話は往々にして面白いのです。(従前の通り会場にお集まりいただく方式であれば、そんな時間も講演会のお楽しみのひとつでしたが)
とはいえ、こうした細かなエピソードが面白く感じるのは、やはり西本氏の長年に渡る調査と研究、継続した活動の中で培われた本筋と、更に髙島野十郎に限らないお仕事の蓄積が西本氏の中に大河のように流れていて、ご講演などの機会にはそこから抽出したひとしずくをいただいている様なものだからだと思います。それだけの経験から出るお話振りと比べれば、もし私が同じエピソードを話したとして、果たしてこれだけの楽しい時間を作れるかといわれると、そうはならないだろうという強い予感があります。
ちょっと強引かもしれませんが、これは野十郎の画業にも通じるところで、特に後年の作品ではそれまでの積み重ねを理解して初めて理解できる魅力も秘められていると感じます。
本展でも展示の最後に「月」の作品を配置することにはとても深い意味と意図が隠されていたのです。何もない夜空に浮かぶ「月」を描くことで、反対に夜空の存在が浮かびあがってくる。その野十郎の視線、夜空という空間の捉え方、そして描き方。夜空は書き割りのような平面でもありませんし、何かはっきりとした境界をもったものではありませんから、単純には描き様のないその存在の表現には、写実を追求した野十郎がたどり着いた画業の集大成が、作品を通して立ち上がってくるのです。そして、そこに至る野十郎の画業を、展覧会の展示を通して追体験することで、最後に「月」を見た時に感じられる作品の魅力があります。その点でも、本展の展示構成には西本氏の野十郎に対する深い理解があってのものだと痛感しました。
巡回展を担当するときはいつも、こうした他の館の先輩学芸員と一緒にそのお仕事振りを目の当たりにできることがとても貴重な経験になります。私自身の解説は、まだまだ小手先の話術の範疇、学芸員の先達の方々の堂々たるお話振りを目の当たりにすると、ただ感嘆するばかりです。(いえ、学ばなければいけません)
私自身は学芸員としてはまだまだ駆け出し(とはいえ、若くはありません)ですので、いつか西本氏のようにお話ができるようになりたいものです。
深谷 聡 (展覧会担当学芸員)