本日(6月26日)、特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」が開幕しました。モリスがデザインした作品に、写真家・織作峰子氏が撮影したモリスにちなむ風景の数々とあわせて、モリスの生涯と活動の軌跡をたどっていただける内容となっています。
ウィリアム・モリス(William Morris 1834~1896)といえば、モダンデザインを語るとき必ずその中心に据えられる大家ですが、まずはモリスが生きた19世紀という時代を少しだけ振り返ってみましょう。日本の19世紀は、言うまでもなく江戸から明治へという大きな転換期でした。ヨーロッパにおいても、産業革命を背景に社会や文化が大きく変わった「近代化」の世紀でした。
美術に近いところから拾っていきますと、モネやルノワールが参加した第1回印象派展がパリで開かれたのは1874年です。19世紀後半の西洋絵画は変革の道を進み、20世紀に入るとピカソやブラックのキュビスムを経て、カンディンスキーやモンドリアンによる完全な抽象絵画を生み出すに至ります。
少し遡って1839年、世界初の実用的な写真撮影技術であるダゲレオタイプ(daguerréotype)がやはりフランスで発表されます。本展のチラシや展覧会場の冒頭にモリスの50歳代の肖像写真を出していますが、19世紀の写真は色彩がなく明暗の諧調だけで表現したモノクロ(白黒)写真でした。
ウィリアム・モリス肖像写真
1886年頃
Photo ⓒBrain Trust Inc.
モリスのイギリスにおける大きな出来事としては、世界初の国際博覧会とされるロンドン万国博覧会(1851年)が挙げられます。博覧会や展示会といった文化的・社会的なイベントが盛んになるのはこの頃からでしょう。このロンドン万国博覧会で特筆すべきは、会場としてハイドパークに作られた巨大な水晶宮(The Crystal Palace)です。長さ563メートルのこの巨大な展示場は、残念ながら現存していませんが、伝統的な石や煉瓦ではなく鉄骨とガラスで組み上げられた画期的な近代建築でした。部分部分をユニット化したプレファブリケーション(プレハブ)工法の先駆例とも言われています。
このようにヨーロッパの19世紀は、美術・デザイン・建築など、あらゆる視覚的な文化・造形の領域で変化と革新に揺れ動いた時期でした。モリスは特にデザインの分野で近代化に貢献したとされますが、一方でモリスは機械化・工業化にはむしろ批判的な立場にあり、中世の職人的な手仕事に理想を見ていたのは興味深いことです。
本展でも紹介しているように、晩年のモリスは印刷製本工房ケルムスコット・プレスを設立して「芸術としての書物」を作ることに情熱を注ぎました。製紙と印刷の技術は長い歴史を持ちますが、19世紀には木材パルプから紙を大量生産し、輪転機で大量に印刷するという技術発達が進んだ時代でもありました。こうしたこともあってか、ヨーロッパで18~19世紀に近代文芸(大衆小説)が発達します。当時を代表するイギリスの小説家と言えば、チャールズ・ディケンズなどが思い浮かびます。しかし、モリスが生きた19世紀イギリス、いわゆるヴィクトリア朝時代のロンドンとその周辺をイメージするうえで、みなさんに手っ取り早い好例はシャーロック・ホームズの冒険譚ではないでしょうか。モリスがケルムスコット・プレスを立ち上げた1891年は、偶然ながらコナン・ドイルがホームズ物語の短編小説シリーズを連載開始した年でもあるのです(長編第1作は1884年)。モリス自身、詩人・小説家としても文才を発揮しましたが、19世紀は文芸の時代でもありました。
今回はこのくらいにして、ウィリアム・モリス展について時々投稿していきたいと思います。
安田篤生 (学芸課長)