ウィリアム・モリスと19世紀イギリス美術 [3](2021年7月15日)

 特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」の展示構成の最終章は「アーツ・アンド・クラフツ運動とモリスの仲間たち」と題して、19世紀末から20世紀初頭にかけてのモリス以外のデザイナー・工芸家による作品を紹介しています。
 アーツ・アンド・クラフツ運動はモリスを先導役とし、一方で、日用品の中に美(=用の美)を追究した柳宗悦らの民芸(民藝)運動にも影響を与えたと言われています。少なくとも、民芸運動を牽引した柳宗悦(1889-1961)は昭和初期にモリスゆかりのケルムスコットの地を訪れたり、モリスに関する文章を執筆したこともあり、その芸術思想と実践には共感を寄せていたと思われます。
 前回のコラムで記したように、モリスと、そしてモリスも影響されたラスキンは、粗悪な大量生産品が出回る産業革命期のさなかにあって、職人の手仕事が生み出した中世の造形・工芸に理想を求めました。モリスは多くの仲間たちと共に自らの芸術思想を実践に移しましたが、年下の仲間たちがさらに押し進めたのがアーツ・アンド・クラフツ運動でした。
 モリスたちが理想とした中世においては、商業や手工業のギルド(同業組合)が作られ、中世都市の発展に寄与しました。1880年代、モリスより若い世代が中心となり、そうしたギルドの近代版としてセンチュリー・ギルドやアート・ワーカーズ・ギルドといったものが結成されました。そして後者の下部組織としてアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会が組織され、1988年に第1回展をロンドンで開催しました。これがアーツ・アンド・クラフツ運動という呼称の由来となっています。
 本展にも出品しているウォルター・クレイン(1845-1915)はアート・ワーカーズ・ギルドおよびアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の会長もつとめ、モリスの後継者としてアーツ・アンド・クラフツ運動の主軸と呼べる人物です。クレインの創作活動は多彩ですが、特に挿絵本の仕事で人気があり、2017年には日本初の大規模な展覧会が千葉市美術館や滋賀県立近代美術館で開催されました。本展では他にも、モリス商会のタイル制作も手掛けたウィリアム・ド・モーガン(1839-1917)による装飾タイル、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン(1854–1924)の装飾性に優れた優美な卓上ランプ、チャールズ・フランシス・アンズリー・ヴォイジー(1857-1941)による壁紙デザインを展示しています。

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画像:《卓上ランプ》
デザイン: ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン
ランプシェード:ジェームズ・パウエル
Photo ⓒBrain Trust Inc.
20世紀初頭

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各地において美術工芸の新しい動きが堰を切ったように起こりました。フランスのアール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲント・シュティール、オーストリアのウィーン分離派(セセッション)などですが、アーツ・アンド・クラフツ運動はその先達として位置づけることができるでしょう。
 アーツ・アンド・クラフツ運動に参加した人材は、画家・工芸家・建築家・批評家など多士済々です。こうしたジャンルの枠組みを超えた造形運動は、1920年代、ドイツのバウハウスにおいて一つの頂点に達します。バウハウスは一言で言うと美術学校ですが、美術・建築・デザイン・工芸・写真といった総合的な芸術教育と実践活動の拠点であり、学校自体はナチスの台頭で1930年代に閉校へ追い込まれたものの、第二次世界大戦後の「モダン」な生活の基盤を確立したと言っても過言ではないでしょう。バウハウスの造形・デザイン思想は単純化するとシンプルさと合理性に基盤を置いており、アーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーの装飾性とは対極にあるようにも見えますが、産業革命とそれに対する反作用としての19世紀後半の芸術活動があったからゆえの発展とも言えます。このようなモダンデザイン、モダンアートへと至る流れの中でウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツは重要な位置を占めています。

 

安田篤生 (学芸課長)

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