東京五輪の陰で大阪万博EXPO'70を思い出してみる(2021年8月6日)

 コロナ禍の中、2度目の東京オリンピックも終盤に近付いてきました。2025年には、こちらも2度目となる大阪での日本万国博覧会が予定されていることは皆様もご存じでしょう。前回(1970年)の大阪万博、通称「EXPO'70」をご記憶の方はどのくらいおられるでしょうか。ちなみに私は前回の東京オリンピックの前年に生まれ「EXPO'70」のときは小学校1年生でした。当時は大阪市内に住んでいたので、両親に連れられて2-3回は万博会場に足を運んだ記憶があります。この大阪万博には意外と美術関連のトピックがあるので、真夏の雑談として書いてみることにしましょう。
 まずは、今更言うまでもなく、岡本太郎による「太陽の塔」ですね。万博終了後、長らく内部は閉鎖されて外から眺めるだけでしたが、修復が済んで3年ほど前から内部の公開も始まりました。私は万博会期中に内部の展示も見まして、断片的ながら今でも記憶に残っています。「太陽の塔」は外側に3つの「顔」があるのが特徴ですが、内部に設置されていてその後行方不明になってしまった「第4の顔・地底の太陽」を見たことも子供心に覚えています(←自慢か?)。

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画像:現在の万博記念公園と「太陽の塔」

 もうひとつ注目したいのは、イサム・ノグチによる噴水オブジェ です。ちょうど今、上野公園の東京都美術館で特別展「イサム・ノグチ 発見の道」が開催中です(8月29日まで)。日本人を父にアメリカ人を母に生まれたイサム・ノグチは20世紀を代表する彫刻家の一人ですが、「太陽の塔」の近くの池に6種類の噴水オブジェを設置しました。これらは噴水の概念を覆したとも言える斬新な作品で、中でも「彗星」というオブジェは、空中数十メートルに浮かんでいる(ように見える)金属の立方体から、高圧のジェット水流が「真下へ」向かって池を叩くように噴出するという、当時としては画期的なものでした。仕込まれた照明の効果もあって、小学生だった私の記憶にもはっきり焼き付いています。ただ残念なことに、これらのオブジェは現在も保存こそされているものの、水は出ていません。「彗星」も長い支柱で立っているのが一目瞭然です。したがって会期中のイメージは想像するしかありません。この池は「夢の池」と呼ばれているようですが、今となっては「夢のあと」という感じですね。
 イサム・ノグチ以外にも「EXPO'70」には現代美術のアーティストがいろいろと関わりました。大阪を拠点に活躍して海外でも評価された前衛美術家集団「具体美術協会」も参加して展示やイベントを行ったほか、「国際鉄鋼彫刻シンポジウム」という名前で内外の彫刻家を招き、競作が行われました。後者の作品で今も万博記念公園に残されているのは伊原通夫、若林奮、フィリップ・キングの3作品だけのようです。
 あともうひとつ、「EXPO'70」の副産物として「国立国際美術館」にも触れておきましょう。現在は大阪市立科学館や来年オープン予定の大阪中之島美術館と並んで中之島にある国立国際美術館は、もともと万博記念公園で始まったのです。これは「EXPO'70」の会期中に「万国博美術館」として使われた展示施設を継承・再利用するということで、関西では京都国立近代美術館に続く2番目の国立美術館として1977年にオープンしたのでした。ほぼ同時期にオープンした国立民族学博物館(これは黒川紀章設計の新築で、今も同じ場所にあります)のすぐ隣です。当時の日本での美術館としては屈指の巨大さを誇る建物でしたが、老朽化等がひどくなったこともあり、2004年に現在の場所へ移転したのです。
 このように前回の大阪万博には思いのほかアートに関する話題があります。さて、2025年の大阪万博はどんな感じになるのでしょうね。

安田篤生 (学芸課長)