特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」は8月29日で終了いたしました。巡回展示の最終会場だったせいもあり、展覧会図録が早々と売り切れてしまうなど至らぬ点はありましたが、おかげさまで多くのお客様にご来館いただき、まことにありがとうございます。
6月26日のコラム「ウィリアム・モリス展、開幕です」の中で、私は「モリスのイギリスにおける大きな出来事としては、世界初の国際博覧会とされるロンドン万国博覧会(1851年)が挙げられます。博覧会や展示会といった文化的・社会的なイベントが盛んになるのはこの頃からでしょう」と書きました。これに関連したことに少し触れてみたいと思います。
ロンドン万国博覧会は、1798年、革命期のフランスで始まった国内博覧会が拡大したものです。19世紀の国際博覧会はほぼヨーロッパとアメリカで行われていましたが、日本の公式初参加は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会でした。明治維新によって近代化へ向かう日本の物産を宣伝し、国力を誇示するものとして大変な力の入れようだったと思われますが、この前年、ウィーン万国博覧会の準備も兼ねて、東京で湯島聖堂博覧会が開かれています。これは当時の文部省博物局が中心となって行われ、大いに評判となったようです。そして、この湯島聖堂博覧会が、現在は上野公園にある東京国立博物館の起源となっており、同館のウェブサイトでも公式に解説されています。言うまでもなく、日本における博物館の第一号です。
湯島聖堂博覧会の成功もあって、明治時代の日本ではたびたび博覧会が開かれ、産業振興、物産奨励の役割を果たしていたと思われます。政府主導の大きなものとしては、1877年(明治10年)から1903年(明治36年)にかけて東京で3回、京都と大阪で各1回実施された内国勧業博覧会があります。
奈良県でも、奈良国立博物館の設立(1895年)に先立って博覧会が行われていました。1874年(明治7年)に官民合同による奈良博覧会社という組織が設立され、東大寺大仏殿廻廊を会場に正倉院宝物などが陳列されました。この博覧会は1890年(明治23年)まで続き、奈良国立博物館の前史を成していると言えるでしょう。
江戸から明治へと変革の時代であった19世紀後半の日本は、このように博覧会の時代であると同時に博物館という文化施設の揺籃期でもあったわけです。
ところで、当館では9月23日から「生誕200周年記念 森川杜園展」を開催いたしますが、森川杜園(1820-94)はまさにこの時代に活躍した人物です。上記の内国勧業博覧会にも出品したほか、シカゴ万国博覧会(1893)にも参加し、さらには奈良博覧会社の事業にも関わりました。近代日本黎明期の博覧会や博物館の歴史も頭の片隅に入れながら、森川杜園展をご覧いただければと思います。
安田篤生 (学芸課長)