今年最初のコラム(第35回/1月6日)『2022年の美術─ドクメンタなど』では、ドイツの「ドクメンタ」を中心に今年予定されている大型国際現代美術展のことを書き、その中で「ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」にも触れました。コロナ禍で昨年から延期になっていたこのビエンナーレ(言葉の意味は隔年開催ということ)が、ついに先日、4月23日からスタートしました。
1895年に始まったヴェネチア・ビエンナーレは、その歴史とともに美術展としての規模の大きさもまた別格なのが特徴です。昨今の国際現代美術展は、一人ないし複数のディレクターやコミッショナー(呼称はいろいろ)に企画や作家の選定をゆだねる方式が主流です。ヴェネチア・ビエンナーレにもそのような企画展の部門がありますが、展示の大半は国別参加方式、つまり個々の参加国が独自に作家を選んで展覧会を作る、万国博覧会の参加国パビリオンのような形式をとっています。米英仏独など主だった国々は(まさしく万国博覧会のように)自前で常設のパビリオン=展示館をメイン会場のジャルディーニ公園に建てています。日本の初参加は1952年で、吉阪隆正(1947-80)設計による日本館は1956年に完成して現在も使われています。ちょうど今、東京都現代美術館で『吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる』が開催中で(6月19日まで)、同展にはこの日本館の設計模型も展示されているので、ご覧になった方もおられるでしょう。日本館建設にあたっては、ブリヂストンの創業者でありブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)も創立した石橋正二郎が資金を寄附したことも知られています(竹橋の東京国立近代美術館の建物も同氏の寄附によるものです)。
ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展は国別参加方式であるため、美術の祭典と言いながら良くも悪くも隙間から《国家》が顔をのぞかせる性格はあります。ヴェネチア映画祭のように授賞制度もあるのでなおさらです。特に今年は(年始のコラムを書いた時には想像もしていませんでした)ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、参加国の常連であったロシアが不参加となり、その一方でウクライナの展示がメディアの注目を浴びるなど、時事的な影響がはっきりと見られます。そして今回、作家個人に与えられる金獅子賞を受賞したのはアメリカのシモーヌ・リー(Simone Leigh)、国別パビリオン単位での金獅子賞はソニア・ボイス(Sonia Dawn Boyce)のイギリス館に決まりました。そろって黒人女性のアーティストが受章するのは今回が初めてということで、これも時代の雰囲気を反映しているような感じがいたします。
一方の日本館ですが、これは長年にわたり独立行政法人国際交流基金が実務を担っているのですが、今回の出品者(日本代表)はダムタイプです。ダムタイプ(Dumb Type)は1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたマルチメディア・パフォーマンス・アーティスト集団で、様々な分野のアーティストが共同制作の可能性を追究し、美術・演劇・ダンスといった既成の芸術範疇に収まらず、それらを横断するような時空体験を創り出してきました。メンバーは固定制でなくプロジェクトによって流動することも特徴で、当初の中心メンバーであった古橋悌二が1995年に病没した後も精力的に活動を続け、海外でも注目されています。ヴェネチア・ビエンナーレ日本館公式サイトには今回の主要プロジェクトメンバーの名前が挙げられており、その筆頭に名前がある高谷史郎は奈良県の出身です。私は前回のコラム(第43回/4月24日)『アーティスト・イン・レジデンスについて』で「なら歴史芸術文化村」に言及しましたが、なら歴史芸術文化村のウェブサイトの中に「奈良ゆかりのアーティスト」というコンテンツがあるのをご存じでしょうか。このコンテンツの第一回紹介アーティストとして高谷史郎氏のインタビューが掲載されていますので、紹介しておきます。
この日本館だけでなく展示の内容が気になるところですが、私はまだ見ておりません。通常、会期直前の数日間がベルニサージュ(内覧会、特別招待日)になっていて美術関係者やメディア関係者はこぞってこの期間に訪れます。私も過去2回ほどベルニサージュに行きましたが、一般の会期中より混雑しているのではないかというくらいの賑わいでした。ただ今回は、コロナ禍の影響もまだある上にウクライナ戦争で日欧間の航空便がルート変更するなど、まだ気楽にヨーロッパへ行ける状況とは言いがたく、内外のメディアではレポートや紹介記事も見かけますが、日本の美術関係者でもまだ出かけていない人が多いのではないでしょうか。展覧会期間はほぼ6か月とたいへん長いので、まだまだ機会はありますけれども(私はたぶん行く暇がなさそうです)。
ヴェネチア・ビエンナーレからは話題がそれますが、せっかくですので奈良県出身のユニークな現代美術作家としてもう一人、泉太郎も紹介しておきましょう。スイス・バーゼルのティンゲリー美術館(2020)やパリのパレ・ド・トーキョー(2017)で個展が企画されるなど、やはり近年国際的に注目されているアーティストで、映像を中心に、社会の慣習やシステムの隙間や矛盾を問い、生活の常識を再考するような作品が特徴です。私は東京勤務時代に2度ほど一緒に仕事をしたことがありますが(個展ではなくグループ展です)、来年初めには新宿の東京オペラシティ アートギャラリーでも大型の個展が予定されていますので、機会があればご覧になってみてはいかがでしょうか。
安田篤生 (副館長・学芸課長)