「目線を隠すのと口許を覆うのと、どちらが悪者のイメージになるか」について、考えました。日本のドラマや映画では、サングラスをしているのはだいたい悪人と相場が決まっています。どこを見ているかわからない人物が不気味なのでしょう。一方、欧米人にとって、サングラスはかっこいい人物の象徴で、大統領から多くの軍人やヒーローまで、強さをアピールする際にサングラスが愛用されますが、テレビや映画では、銀行強盗や列車強盗、テロリストなどの多くの悪人が顔の下半分を覆っています。日本の兜では、面頬(めんぽお)という顔の下半分を覆う面が一般的ですが、西欧の実用的な兜は顔の上半分、特に目の周りを覆うものが多い傾向にあります。「目は口ほどにものを言い」「目千両」などという日本人は、目線で相手の心を読み取り、西洋人は、口の動きと言葉で相手を理解するために、そこを隠すことは悪人を連想するのでしょうか。
このことは、仮面(マスク)に対するイメージともほぼ一致しそうです。仮面は、古今東西を問わず、世界の至る所で用いられますが、非キリスト教圏で好まれる傾向があるようです。アフリカには、たいへん魅力的な造形を持った仮面がたくさんあり、インドから東南アジアや東アジアでは仮面芸能がとても盛んです。
舞楽に『蘭陵王』という演目があります。6世紀の北斉の皇族・高長恭は、わずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲したほどの猛将でしたが、類い希な美しい声と眉目秀麗であったため、時として味方の兵が見惚れて士気が上がらず、また敵に侮られるのを嫌って、必ず怪異な龍の仮面をかぶって出陣したという故事に倣った勇壮な舞楽です。これなどは、仮面のよい効果が顕れたものといえます。
三島由紀夫の『仮面の告白』は、自らの同性愛的性向に悩む若者の心理描写で知られますが、仮面は本質を隠す役割を持たされています。三島も好んだ能において、直面(ひためん、面を付けない素顔)の演者は、見所(けんじょ)と同じこの世のひとで、仮面を着けた演者は、この世ならざる霊界のひとと見做されます。
日本のこどもたちは、無邪気に縁日のお面を被って走り回りますが、欧米のこどもがお面を被るのは、ハロウィンの時くらいだそうです。イタリアではヴェネツィアの仮面カーニヴァルが有名です。中世の頃に、沈鬱な階級社会の憂さ晴らしに仮面を被り、その匿名性のもとに野放図に振る舞うことが目的でした。ただその反社会性ゆえに、永い間弾圧もされ、現代でも仮面には悪漢的イメージがつきまといます。キリスト教圏では、仮面によって変身する多神教的文化を、背徳的で低級なものと見做されがちです。
歴史的にも、ペストの時の医療用マスクやガスマスクなどの不気味な印象からか、マスクには、ネガティブな印象が強いようです。第一次世界大戦時のドイツ軍のヘルメットにガスマスクという姿は、非人間的な悪魔的イメージとして定着しています。その延長でしょうか、欧米人には仮面芸能に日本人ほど親近感はないようです。そして欧米では、コロナ禍初期にマスクをすることに強い反発があったのは記憶に新しいことで、法的義務が解除になったとたん、自己責任に基づいて脱マスクが一気に進みました。
日本でも、マスク生活が3年目になりました。5月に入って、ようやく政府もマスク着用緩和の方針を打ち出しましたが、相変わらず歯切れの悪い言い方で、正常化への戦略が感じられません。単なる「要請」に過ぎないマスク着用なのに、日本人の95%は、いまだにいつ果てるとも知れないマスク生活を従順に続けています。私はもともと「新型コロナはインフルエンザの一種」「変異を続けるにつれ弱毒化する」「マスクは、防空頭巾程度の効果」との意見に賛同ですので、「『感染者隔離』を行うペストや炭疽菌のような感染症2類から、『発生動向調査』のみの5類に引き下げが妥当」が持論です。そうすれば医療現場の無用な逼迫などは起こらなかったはずです。日本人が一日も早く疑心暗鬼におびえる暮らしから、平穏な日常を取り戻してほしいと思っています。
2022年5月21日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司