私が仏像の構造技法の研究や模刻制作に勤しんでいた40数年前のこと、国宝や重要文化財の仏像の私的撮影はたいへん難しく、モノクロの仏像写真を奈良の仏像写真館に複写してもらい購入したものです。でも背面や真横からの写真は少なく、思い通りの画像が手に入らなくて苦労したのも懐かしい思い出です。現代のように、CTスキャンなどによって仏像の三次元デジタルデータを入手できることはほんとうに夢のようです。ちょっと自慢話めきますが、20数年前にその先鞭をつけたのは、私が担当した東京藝大の文化財保存学彫刻研究室でした。
さて仏像の都・奈良には百年を超える写真館の歴史があります。早くから観光写真とともに仏像や寺院を対象にした文化財写真という分野が確立され、多くの伝説的な写真家も誕生しました。そもそも最初の文化財調査である「壬申検査(じんしんけんさ、1872)」は、廃仏毀釈の嵐が収まった明治の初めに、その保護と活用に開眼した明治政府が行った近代的文化財調査の嚆矢でした。その調査には、町田久成、蜷川式胤の高級官僚のほか、画家や拓本家、写真家など当時の新進気鋭の若手が総動員されました。その後、フェノロサと岡倉天心が行った調査によっても、貴重な記録が遺され、現代の文化財保護行政と日本美術史の礎となりました。
仏像写真家の工藤精華(利三郎、1848〜1929)は、文化財保護黎明期に、現状を記録する数多の仏像写真を撮影しました。そして猿沢の池東岸畔に「工藤精華堂」を開業、豪華写真集『日本精華』を刊行。彼の貴重なガラス原板は、新薬師寺に隣接する入江泰吉奈良市写真美術館に保存されています。そして、その工藤のガラス乾板の寄贈に尽力した写真家・永野太造(1922〜1990)も、奈良国立博物館旧館前の茶店「永野鹿鳴荘」にその名を残しています。彼の貴重なガラス乾板は、2015年奈良の帝塚山大学に一括して寄附され保存されています。
そして忘れてならないのが小川晴暘(おがわ せいよう、1894 - 1960)です。奈良を中心に各地の仏像を撮り、1922年(大正11年)、美術史家で書家・歌人としても名高い會津八一(1881〜1956)の勧めを受けて飛鳥園を創業、仏像写真といえば飛鳥園として知られるようになりました。『室生寺大観』『法華堂大観』などに、私もずいぶんお世話になりました。そのほか、彼が大正から昭和にかけて記録した朝鮮半島の仏像や雲崗石窟、アンコールワットなどの写真は、観光地化される前の貴重な記録です。本展「小川晴暘と飛鳥園 100年の旅」では、小川晴暘のご子息で現当主である小川光三氏の業績も合わせて紹介しています。
仏像ブームといわれる現代の観光資源としての仏像ではなく、日本人の歴史と文化を再認識し、その精神性や宗教観に敬意と愛情をもって迫った飛鳥園100年の仕事を、日本人の心のふるさと奈良の風物とともにご紹介いたします。みなさまのご高覧をこころよりお待ち申し上げています。
2024年4月2日 奈良県立美術館館長 籔内佐斗司
(図版)飛鳥園前