建築家黒川紀章の遺したもの(2023年9月10日)

 工事の遅れが懸念されている「大阪・関西万博」(2025年日本国際博覧会)ですが、前回の大阪万博(EXPO’70)が1970年の開催ですから「自分が生まれる前の話だよ」という方も多いでしょう。吹田市の跡地は今も万博記念公園として残り、シンボルの「太陽の塔」も保存修復処置の甲斐あって内部公開が再開したとはいえ、当時の熱気をご存じでない方も増えてきました。還暦世代のかくいう私は当時小学校一年生、大阪市内に住んでいたこともあって、両親に連れられて何度か会場へ足を運んだ記憶があります。

 EXPO’70の数あるパビリオンの中でもひときわ人気があった(そして入場待ちで長蛇の列をなした)のは、アメリカ館とソビエト連邦館(!)で、両館とも宇宙船の実物(!)を競うように展示し、ある意味冷戦時代を象徴するものでもありました。2年前にはスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』が公開されたばかりでもあり、EXPO’70のみならず、科学技術の「進歩」への期待・夢想・欲望が社会全体を覆っていた頃ではなかったかと思います(その一方で、工業化の弊害である「公害」の深刻化や、冷戦の代理戦争とも言えるベトナム戦争も進行していたわけですが)。

 さて、EXPO’70には「太陽の塔」をデザインした岡本太郎やユニークな噴水をデザインしたイサム・ノグチなど、現代美術家が何人も参加していました。同時に、パビリオンの設計などで多くの優れた建築家が関わりましたが、その一人に黒川紀章(1934-2007)がいます。磯崎新、谷口吉生らと同じく丹下健三に師事した黒川紀章は、日本を代表する建築家の一人として60年代から00年代まで活躍しました。美術館の設計もかなり手掛けており、入江泰吉記念奈良市写真美術館もその一つです。しかし近年特に話題に上がることが多い代表作としては、東京・銀座の「中銀カプセルタワービル」があるでしょう。

 中銀カプセルタワービルはEXPO’70の後、1972年に竣工した集合住宅、分譲マンションです。これは、都市や建築が新陳代謝(メタボリズム)のように有機的に変化・成長することを目指した建築運動「メタボリズム」を代表する実践例とされています。大都市中心部におけるセカンドハウス的な使い方を想定していたようで、狭小な住宅ユニットであるカプセルの集合体という感じの建物です。カプセル一つ一つの外観は丸窓がついた直方体をなしており、さながら巨大なドラム式洗濯機といった感じでしょうか。ビジネスホテルのシングルルームをさらに狭くしたような狭小空間ながら、ベッド・エアコン・テレビ・電話・冷蔵庫・ユニットバスなどの設備が作り付けになっており、内部空間は前述の『2001年宇宙の旅』に出てきてもおかしくはない未来的なデザインです。

 このカプセルは、設備技術の進歩に応じて交換可能な、建築自体の新陳代謝(メタボリズム)をもくろんだものでしたが、建築家と区分所有者との意識のずれをはじめとする諸問題からカプセルの更新は実現せず、残念なことに老朽化のため解体されることになりました。修復保存か解体かをめぐる論議の過程はたびたび報道されましたから、ご存じの方もおられるでしょう。解体工事が昨年実施になった一方、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」として、一部のカプセルユニットを保存・移設しようという動きも現れました。その結果、カプセルの一つが東京からはるばる関西へ運ばれて、展示公開されることになりました(それで今回このコラムを書く気になったのです)。

 さきほど黒川紀章が設計した美術館はいくつかあると書きました。その一つが、和歌山城に隣接する和歌山県立近代美術館(1994竣工)です。詳しくは同館ウェブサイト(リンク先)に譲りますが、先月カプセルの一つが和歌山に到着して展示が始まりました。当初の構想とは違うにせよ、現代建築の貴重な作例として、このような形で保存されることになったのは歓迎すべきでしょう。

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和歌山県立近代美術館ウェブサイトからスクリーンショット

 黒川紀章が設計した美術館には埼玉県立近代美術館(1982竣工)もあります。同館が立地する北浦和公園にもカプセルの一つが設置されています。こちらはもう10年以上前から置かれており、どうやらモデルルーム(?)的なユニットのようです。

 最後に余談になりますが、もう一つ、黒川紀章が設計した美術館である広島市現代美術館(1989竣工)を紹介しておきましょう。2年余りの改修工事休館を経て今年の春リニューアルオープンした同館では、現在『11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展』を開催中です(10月15日まで)。ヒロシマ賞は「世界の恒久平和と人類の繁栄を願う『ヒロシマの心』を美術を通して世界へ訴えることを目的」に制定したもので、今回の受賞者アルフレド・ジャーは南米チリ出身でニューヨークを拠点に活動しており、写真・映像・光・テキストなどを駆使して鑑賞者の心を揺さぶる作品を制作しています。私も先日見て来ましたが、過去の代表作と合わせてヒロシマのための新作も発表しており、喚起力に富む力強い展示になっていました。そんなわけで、ここで一緒に紹介しておきます。

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広島市現代美術館 アルフレド・ジャー展(筆者撮影)

安田篤生 (副館長・学芸課長)