このウェブサイトのトップページに掲載してあるように、当館では4月20日(土)から『小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』展を開催する予定で、その準備も大詰めを迎えております。
同じ奈良市内、新薬師寺の近くに写真を専門とする入江泰吉記念奈良市写真美術館がありますが、奈良県立美術館で写真の展覧会を開くというのはかなり珍しいと思います。
小川晴暘(おがわ・せいよう 1894-1960)は奈良を中心に各地の仏像や文化財を撮った写真家で、彼が創立した仏像撮影専門の写真館「飛鳥園」は、創立100年を越えた現在も奈良国立博物館の向かい側に健在です。本展は、小川晴暘とその息子で同じく写真家として活躍した小川光三の作品を中心に飛鳥園の活動を振り返るものですが、小川晴暘・光三親子は文化財保護活動を支えると同時に、仏像写真を文化財の記録にとどまらず芸術の域に高めたところに特色があります。
写真というメディアの歴史はまだ200年(2世紀)に満たない程度ながら、特に1990年代後半から現在へのデジタル化による変化は、技術的側面だけでなく私たちの生活や社会にも深い影響を与えています。しかし今のIT時代に限らず、写真はその誕生の時から社会・文化・生活に大きな変化と刺激を与える一つの因子なってきました。実際、小川晴暘が写真を学び、職業写真家となった明治末期から大正期にかけては、日本において写真がかなり社会に普及していたと同時に、写真による表現活動が広がりを見せていく時代でもありました。
現在の写真技術の直接的原型であるダゲレオタイプ(銀板写真)がフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって発明・発表されたのは1839年、日本では天保10年間のことでした。日本へは幕末嘉永年間にオランダから長崎へダゲレオタイプがもたらされ、また黒船ことペリー艦隊もダゲレオタイプを持ち込んだといいます。そして幕末文久年間には横浜の下岡蓮杖や長崎の上野彦馬などが写真館を開業し、また、幕末から明治初期にかけて長期滞日したフェリーチェ・ベアトのように、異国・異文化の風景や風俗を撮る欧米人写真家も現れました。明治期に入ると急速に写真は普及し、職業写真師(写真家)と写真館が各地に誕生することになりました。手軽に写真が撮れるようになった現在でも、写真館(写真スタジオ)で成人式などの記念写真を撮る習慣はかろうじて残っていますね。また、小川晴暘が若き日に師事した写真家丸木利陽は明治天皇の《御真影(御写真)》を撮ったことで知られていますが、御真影もまた写真というメディアが持つ社会的な《力》を語る一例です。
写真技術そのものの進化と発展だけでなく、19世紀のうちには写真を新聞雑誌の誌面に組み入れる写真製版技術も実用化され、20世紀に入ると写真の需要と使い方はますます広がりを見せていきました。とりわけ写真と印刷技術との結びつきは、写真を中心に誌面を構成するグラフ誌の隆盛、いわゆるグラフ・ジャーナリズムの時代を到来させました。インターネットの普及により、21世紀になってペーパーメディアの新聞・雑誌が勢いを失っているのを見ると、20世紀との違いを実感せざるを得ません。グラフ・ジャーナリズムの象徴として必ずといってよいほど言及されるのが、1936年アメリカで創刊された「LIFE(ライフ)」ですが、形態を変えながらも発行を続けていた同誌も2007年に終刊となってしまいました。
小川晴暘が文化財写真家として活躍した時代は、写真による芸術的表現の探究が広がる時代でもありました。小川晴暘が拠点とした関西に限ってみても、1904年(明治37)年に大阪で写真家団体・浪華写真倶楽部が結成されており、明治後期から大正、昭和戦前期にかけ、日本の芸術写真運動は欧米の最新動向も参照しながら高まりを見せていきます。昭和になると関西には丹平写真倶楽部や芦屋カメラクラブも現れ、いわゆるモダニズムの開花するなか、安井仲治、小石清、中山岩太、ハナヤ勘兵衛らが精力的に写真作品を制作して、昭和戦前期の関西は芸術写真の一大拠点でもあったのです。
このような(まだテレビはなかった)《写真の時代》に活躍した小川晴暘ではありましたが、その活動が《芸術》とも《報道》とも《広告》とも違う文化財写真という学術的な領域であるために、一般的な近代日本写真史の記述の中で取り上げられる機会がなかったといって過言ではありません。しかし、仏像とその背後にある文化への洞察と写真技術によって創り出されたイメージは、しばしば文化財の記録や資料としての写真という性格からはみ出して、自立した写真的美といえるものになっています。
したがって、日本近代写真史のもう一つの側面を見ることのできる貴重な写真家として、小川晴暘の作品をご覧いただくと一層興味深いのではないかと思います。
さて、昨年このコラムで触れましたように、私はこの3月末で奈良県立美術館を任期満了で退任いたします。わずか5年間ではありましたが、どうもありがとうございました。4月からは新メンバーを加えて奈良県立美術館の学芸課も次のステップに進んでいくことでしょう。引き続きよろしくお願いいたします。
安田篤生 (副館長・学芸課長)