日本の喫茶は、平安時代に最澄、空海などの高僧たちによって、中国から茶の種子とともに持ち込まれてはじまったと伝えられています。その頃の茶は団茶といわれる茶の芽を蒸してつき固め、丸めて干し上げたもので、飲む前に火であぶって砕き、薬研(やげん)で粉末にして飲まれました。その後、鎌倉時代の初期に、栄西により今の抹茶に近い飲み方が伝えられました。
江戸時代に入ると山城(京都府)の永谷宗円が現在の蒸し製煎茶製法を考案しました。これにより、急須に茶葉をいれてお湯を注ぐだけで手軽に飲めるようになりました。もちろん、この時代は手もみだったので、少量ずつしか作れませんでした。そして、庶民にはまだまだ高価なものでした。
明治時代になると、製茶機械が発明されました。昭和30年頃には全ての工程が機械化され、昭和40年頃には大型機械が開発され大量に作ることが可能となり、日本国中に煎茶が普及しました。そして、平成に入ると製茶工場のオートメーション化がすすみ、さらに大量生産が可能となりました。今では、ペットボトルで手軽にお茶を飲めますが、これは原料としてのお茶の葉を同じ規格で大量に製造できるようになったためです。
このように、飲料としての茶の形は団茶(漢方薬のような飲み方)、抹茶、煎茶、ペットボトルと変遷してきました。
最近は煎茶の消費量が減少しています。生活様式の変化に伴い急須で飲む人が減ったことや、また他の飲料との競合のためといわれています。そこで、茶への興味をもってもらうための1つの方法として現在、あまり店頭でみられない稀少性の高い茶をつくる試みがされています。例えば、奈良県で育成された唯一の品種「やまとみどり」の活用などです。奈良県農業研究開発センター大和茶研究センターでは、さらに茶に興味をもってもらえるように、品種の特徴をいかしたり、機能性に着目した研究についても取り組んでいきたいと思います。
市販の「やまとみどり」
【豆知識】
奈良県育成品種「やまとみどり」について
「やまとみどり」は、1924年(大正13年)に奈良県農事試験場茶業分場が山辺郡山添村の茶園で採取した実生樹(挿し木ではなく、種子で育った茶の木)から育成した品種です。1928年(昭和3年)に選抜、1953年(昭和28年)に茶農林10号として登録されました。
寒さ、病気に強く、濃緑色で香りも比較的高く、濃厚な味が特徴です。一番茶新芽の出る時期が他の品種より遅いので、晩霜害に強く、霜害の多い地域で植栽されていました。しかし、収量が少ないなどの理由のため、県内での植栽面積は1958年(昭和33年)には51haでしたが、2015年には1~2㏊となり、現在では県内でもほとんど見ることがありません。
しかし、その希少性から最近注目、再評価され通常お茶の葉はブレンドされますが、他の品種が混ざっていない「やまとみどり」だけの茶が販売されています。