多神社は正式名称を多坐彌志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社という。彌志理都比古とは多氏の祖・祭神の神八井耳命(かむやいみみのみこと)だ。
命は神武天皇の第二皇子でありながら弟に皇位を譲り、表舞台から退いた。「身を引いた」ことが“ミシリツヒコ”の由来ともいわれる。
政治を弟に任せ、自らは天神地祇を奉祀する道を選んだ命。社伝には「帝宮から多神社の地に降り、大宅を造営し、神籬磐境(ひもろぎいわさか)を起し立て、皇祖天神を祭礼」したと語られる。
だが当時は祭政一致の時代。祭祀者も重要な立場にあったと推測される。墓の伝承地について、『日本書紀』には畝傍山の北に葬ったと記される。
現在、その伝承地には、かつて八井神社と呼ばれた八幡神社も存在する。
山を越えれば橿原宮、北東には神武天皇陵。絶好の場所に眠る命の、その存在感の大きさがうかがえる。