多くの皇后を輩出し、初期王朝において天皇家の外戚であり続けたことが『古事記』『日本書紀』に記される葛城氏。この記述を“幻の葛城王朝”の記憶と読み解こうとする向きもある。鈴鹿義胤宮司は語る。「極楽寺ヒビキ遺跡の存在が明らかにしたように、この地に有力な一族が住んでいたことは確かです」。金剛山麓一体を拠点としたのが葛城氏だ。
しかし、氏族的実態は明らかではない。葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)、円大臣(つぶらのおおおみ)らの名が知られる程度だ。「集落に住む方が話してくれたことがあるんです。『ここには襲津彦さんを祀っている神社があるんだよ』と子供の頃に教えられたということを」。その神社があるのは極楽寺にも近い遺跡の密集地域の一つ。周辺からさらに東北には、襲津彦の墓ではないかとされる室宮山古墳が横たわる。
「本当に大切なことは口伝でこそ残ると思います。代々受け継がれる記憶とはそういうものではないでしょうか」。神社には歴史の真実が埋もれているのかもしれない。