古代、若い男女は歌垣で結婚相手を探した。歌垣とは、男女が集まり、即興でつくった歌を掛け合いながら求愛する風習だ。『万葉集』からもそれを知ることができる。
歌垣には、若者だけではなく、歌を教える人がいたらしい。歌には決まったリズムや言葉があったという。現代は著作権などの観点からオリジナリティーを重視するが、古代では、誰もが知っているフレーズをあえて使うことが教養のある人だと思われていたようだ。
歌の枕詞や序詞は、いわばセットになる詞。似た歌がたくさんあるのはそのためだ。作者未詳の歌は身分が低い人物の歌だと認識されがちだが、それは平安時代以降のこと。言葉の使い方から見れば明らかに貴族の歌もある。当時は作者名を残すという概念がなかったのだ。
さらに、歌の手本集は書物ではなく、口伝だったかもしれないという。古代では替え歌を即興でつくることができる人が「頭のいい人」とされていた。「読む」と「書く」を別のものとして考える思考だ。これは文字以前の人々の発想。初期万葉ではそれが顕著に見られる。一方、後期万葉では「書く」ことを前提にしている歌が多いのが特徴だ。